蒲原鉄道モハ11

五泉市中心街から南へ5kmほど、村松藩三万石の城下町として栄え、蒲原鉄道が本社を置く村松の町に、蒲原鉄道モハ11が保存されています。

蒲原鉄道モハ41」にも記した通り、蒲原鉄道は全線廃止後14年を経過してもなお大半の車両が保存されていますが、このモハ11は一足早く加茂-村松間が廃止された1985(昭和60)年に廃車されています。

村松城跡公園の一隅に置かれた車両。踏切警報機と棹のない遮断機も併せて展示されています。

この車両は、デ11形として昭和5年に日本車両で製造されましたが、その前年に同じく日本車両で製造された隣県の山形県鶴岡を走る庄内交通モハ1, 3,5 と非常に良く似ています。
庄内交通の車両として唯一現存する善宝寺鉄道公園跡のモハ3の写真を参考として。

庄内交通の車両が二段窓なのに対して蒲原鉄道は一枚窓なのが外見上の大きな相違点でしょうか。

車両の傍らには、簡単な沿革を記した案内板が立てられています。

台車。小型車らしく台車もちょっと華奢な感じ。

型式などの表記は非常に整った書体になっており、モハ41同様保存後に書き直されたものと思います。

社章と社号もプレートではなく塗装。

モハ11の「11」の下に何らやシールのようなものが貼ってあるので悪戯かと思いきや…。

五泉市の備品シールでした(笑)
公園内に保存されているためか、商工観光課の所管になっているようです。

台枠に書かれた「蒲原鉄道」の文字は手書き。やはりこの方が温かみを感じますね。

実は20年ほど前、多分1991~1993年頃だと思うのですが、一度この車両を見に行ったことがありました。当時の写真はモノクロフィルムでこれ一枚しか撮影していなかったのが悔やまれます。

現在の姿と比較してみました。
立派な屋根が掛けられているのが最大の違い。そして並べてみると20年以上経過している割には劣化の度合いはそれほどでもないようにも感じられます。

場所はこちら。


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