毎年正月の茶の間といえば箱根駅伝。
その駅伝中継のなかでも、5区の箱根の山登りの始まりを告げる場所として、おそらく日本でもっとも有名な洞門が、凾嶺洞門です。
1930(昭和5)年に着工し、翌年に完成した鉄筋コンクリート造のロックシェッドで、その独特な外見は中国の王宮をイメージして造られたと伝えられています。
そういわれてみれば、洋風でも和風でもなく、なんとなく大陸的なイメージを感じさせるデザインですね。
以前から気になっているのが、この扁額。
凝った意匠の入口の造形の割りにぞんざいに見えて仕方が無いのです。
タイル張りの一部にコンクリートが角の処理も粗く塗られていて、その上から手書きで書かれているように見えます。
しかも前は文字が一回り小さかったのに、前の字の消しも甘いままに上書きされているのです。
ここまで手を掛けて建造されたのに、何ゆえ扁額だけがこのように適当な扱いを受けているのか。
もしかしたら以前はちゃんとした扁額が掲げられていたのが何らかの理由で失われたのでしょうか…。
アップでみるとより一層よくわかるかと。
柱には「土木遺産」のプレートが。
正直なところ、もうちょっと何とかならんのかというデザイン…。
プレートのほうは無難に収まっております。
内部は長年幹線国道を支えてきた証として、排気ガスで黒く煤けています。
洞門内は自動車二車線分の幅員しかないため、歩道は外側に設けられています。
洞門からは庇が伸びて歩道を覆っています。
そしてそこから更に覆いかぶさるように生い茂る植物たち。
建造から80年以上を経過し、洞門の上部にも立派な樹木が成長しています。
箱根側も意匠は同じ。そして扁額の処理も同様になっています。
肩の鉤状の装飾が通行する者に強烈な印象を与えます。
出口の傍らではお地蔵様が見守っています。
幅員が狭く老朽化も進んでいるため、現在バイパス工事が進められています。
バイパスは洞門の手前で早川の対岸へ渡り、洞門区間をパスしたらすぐに早川を再度わたって現道に合流するようになっています。
現道とバイパスの小田原側分岐点。
本来自然な線形で洞門へと進む道を無理やり対岸へ渡すため、橋はカーブがきつく、カントがつけられているようです。
対岸は整備され、路盤が敷かれるのを待っています。
本当に洞門の区間だけをパスして、再び急なカーブで現道に合流。
図面を見てもやや強引な線形なので、開通後はちょっと注意が必要な区間になりそうな予感。
バイパス完成後の洞門の扱いが、車両通行可能な状態で残存するのか、それとも完全に遊歩道的になされるのわかりませんが、主要国道の一翼を担うのも残りわずかな期間となりました。
一線級で現役として活躍する洞門をご覧になるなら今のうちです。
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