大手橋 – 中島武設計のコンクリートローゼ橋

木曽福島は中山道三十七番目の宿場町として、江戸時代より栄えてきました。
街の中央を流れる木曽川にはいくつもの橋が架橋されていますが、その中にひときわ優雅な曲線を描くアーチ橋があります。これが大手橋です。

大手橋は中山道と木曽川の対岸にある代官の屋敷とを結ぶ場所に架けられており、かつては「御屋敷前橋」と称されていましたが、明治に入り「大手橋」と改称されました。
明治以降二度にわたり洪水により流失しており、1936(昭和11)年に当時長野県に道路技師として赴任していた中島武氏の設計により架橋されたのが、現在の大手橋です。

中島武氏は長野県在任中に、鋼材不足を解消しつつ十分な強度をもつ構造としてコンクリートを用いたローゼ橋の構造を開発し、1937(昭和12)年に新潟県へ転出するまでの間に、6橋のコンクリートローゼ橋を手がけました。
中でもこの大手橋は最初に手がけられたものであり、コンクリートローゼ構造としては初の施工例となっています。

商店や旅館などが並び、かつての賑わいを髣髴とさせる旧中山道から北へ折れると、ゆるやかな曲線を描く大手橋が見えてきます。

橋の袂には由来を説明する案内板があり、現橋の先代となる1913(大正2)年架橋のトラス橋の写真が掲げられています。

上流側から側面を。
欄干が中空ではないため下路部が太くランガー桁のようにも見えますが、欄干部分を除けばアーチ部と下路部がほぼ同等であることがわかるかと思います。

銘板。左岸上流側は平仮名で「おほてばし」。

左岸下流側は「木曽川」。

右岸上流側は磨耗して判読が困難でした。竣工年でも書かれていたのでしょうか…。

最後に右岸下流側は漢字で「大手橋」。

中島武氏設計のコンクリートローゼ橋は、他の4橋と共に2002(平成14)年に土木学会選奨土木遺産に選ばれており、左岸のアーチ端部にはプレートが埋められています。
その他の4橋のうち、佐久穂町にある栄橋については、以前ご紹介しているのでご参照ください。

プレートをアップで。単独の指定ではなく一連の構造物が選ばれる例は他にも多くありますが、「中島武設計の」と個人に焦点が当てられる事例は珍しいですね。

横構は二本。弦材とくらべてシンプルな仕上げになっています。

優雅な曲線。

後年鋼体による補強が加えられており、重量制限が緩和されているようです。

幅員が5.5mとやや狭いので、車両と歩行者を分離するために下流側に歩道橋が設けられています。

長野県には中島氏の影響を受けて、氏の設計以外にも数多くのコンクリートローゼ橋が架けられています。
全国的に見ても施工例は長野県に集中しており、長野県独自の文化といっても過言ではありません。

その嚆矢ともいえる大手橋。
木曽観光、中山道の合間にちょっと寄り道をして、昭和初期の土木技術を垣間見てみては如何でしょうか。

 

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