愛知県東部の山間に位置する東栄町。その中心街から佐久間ダムのある中部天竜方面へ抜ける国道473号を地形図で辿っていると、川角地区の中ほどで国道に寄り添って流れている大千瀬川を右岸から左岸へと橋で渡るのですが、その対岸を這うように進む道の途中に気になる小さな隧道の記号があります。
その道は、山を越えて以前ご紹介した市原トンネルのある海老嶋へと通じています。
国道473号が大千瀬川を渡る川角橋の手前、上川角集落からその道へと進んでみましょう。
上川角集落の南端にある道の入口です。地形図に描かれている通り幅員3~5.5mの一車線道路です。
基点には「林道 小田線 全幅員5.0m 東栄町」という看板が設けられていました。
小田線という名の林道です。
少し急な上り坂を進んでゆくと、坂を登り詰めたところに古びたコンクリート坑口の隧道が見えてきました。
写真を撮り忘れてしまいましたが、手前には展望台のような車が二台ほど停められるスペースが設けられており、木製のテーブルと椅子が設置されていました。
扁額です。
「川角トンネル 昭和五拾四年三月 東栄町長 原田嘉美」と記されています。
坑口が北向きでかなり苔むしているので、そこそこの古い隧道かと思いきや、昭和50年代に入ってからの開削なので、隧道としては比較的新しい部類に入るものでした。
坑口右手には銘板が埋められていました。
川角トンネル
1979年3月
事業主体 愛知県
延長 60.00m 巾 5.00m
高 4.50m
施工 朝日土木興業(株)
高さ自体は4.5mとごく一般的ですが、幅員が5mと狭めなので、少々縦長な印象です。
愛知県林道協会が1988(昭和63)年11月に発行した「40周年記念誌 40年のあゆみ」には、愛知県林道ギネスブックというような趣旨のコーナーがあり、この川角トンネルは「唯一のトンネル」として紹介されていました。
どうも少なくとも本書の発行当時は、愛知県管理の林道では唯一のトンネルだったようです。恐らくそれ以降に林道用にわざわざ新たに隧道を開削したということもないでしょうから、今でも愛知県唯一の林道隧道だと思われます。
40周年記念誌 40年のあゆみ (1988年 愛知県林道協会編 愛知県図書館蔵)
52ページより引用
坑口の写真は、コンクリートの汚れが進んでいることから建造初期のものではなく記念誌発行にあたって撮影されたもののようですが、当時はまだ未舗装であったことが分かります。
ちなみに写真左手に背面が写りこんでいる警戒標識は現存していません。
隧道内はコンクリート覆工のごくありふれたもので、特に見るべきものはありませんが、やはり背高な印象を受けます。
断面は馬蹄形ではなく側壁が垂直となっており、木材運搬などでの大型車の通行にも支障がないように配慮されている模様です。
南側の坑口です。こちらも基本的には北側と同じデザインです。
上部には蜜蜂の巣箱が沢山並べられていました。
扁額は北側と若干異なっており、揮毫は同じ東栄町長原田嘉美氏ですが、書体が異なり「昭和五拾四年」が「昭和五十四年」と新字体になっています。
隧道の東側に旧道らしき道跡が見られます。
荷車の通行はできそうな道幅です。尾根を迂回するように続いています。
北側坑口へ戻るように進んでみましょう。
路肩は野面積みの立派な石垣になっていました。
少し低い位置から。高いところでは5m近く積み上げられています。
下から見上げて。
訪問が夏場だったために草葉に阻まれて思ったよりも石垣が上手く写りませんでした(苦笑)。
しばらくは穏やかな道が続きます。南向き斜面なので日差しもあり、ちょっとしたハイキング気分を味わえます。
山側の岩を切って平場を確保しています。
ここにも蜜蜂の巣箱が。
廃道における蜂の巣箱との遭遇率の高さはかなりのものだという印象を持っているのは私だけでしょうか。
尾根の先端部に近づいてきました。洞穴のようなものが見られます。
鎌倉でよく見られるやぐらのような洞穴なので人工物かと思いましたが、自然に侵食されて出来たもののようにも見え、判然としません。
尾根の頂点にあたる場所なので、石仏などが祀られていれば人工物の可能性が高いと思えるのですが、それらしきものは見つかりませんでした。
少し引いて。ここで道はU字のカーブを描いて尾根を越えているのがわかります。
尾根を越えた後も、比較的幅の広い道筋が続きます。
途中、路肩が崩落している箇所がありました。かなり傾斜の厳しい場所に通された道であることが分かります。
幸いにして崩落は路肩の一部に留まっているので、通行に支障はありませんが、下を眺めると急傾斜に脚がすくむ思いです。
さらに道は続きます。少し谷のように山側へ切れ込んだ地形を忠実にトレースしていきます。
最も切れ込んだ箇所は、大規模に崩落していました。
それまで広かった路盤が、ここでは人一人通るのがやっとなくらいに削られてしまっています。
路面は土砂や落ち葉の堆積で傾斜しており、人一人通るくらいの幅があるとはいえ、足を滑らせれば数十メートルしたの大千瀬川へ転落してしまうので、慎重に先へと進みます。
無事に通過した崩落地を振り返って。
地味ですが危険度は高いので、降雨後など足場の状態がよくない場合は、訪問される方は無理をせず、ここで折り返すことをおすすめします。
崩落を越えると、再び広く安定した路面が続きます。
改めて振り返り崩落箇所を遠望します。
崩落箇所の前後だけ道幅が狭まってしまっていることが分かるかと思います。
更に道を進んでゆくと、左側は大きく削られ一枚岩の巨壁になっています。
人の背の高さより少し低いところがえぐるように掘り込まれているのは、荷車などの通行のための人為的な措置なのか、地質の違いにより下部だけ侵食されたのか正確なところは先ほどの洞穴同様分かりませんでしたが、えぐられた部分も比較的平滑な面を構成しているので、人工的なものの可能性が高いように思えます。
ここまではよくある古道の風情でしたが、ここから先の区間に、この旧道のハイライトが待ち構えているのでした。
つづく。
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