その2からの続きです。
大崩落が生じている事自体は、「山さ行がねが」のヨッキれん氏のレポートで知っていましたが、正直なところ、少々舐めてこの道に臨んでいたというのは否めません。
ヨッキれん氏のレポート当時、崩落土砂は崩落地全体で川床にまで達しており、道路の擁壁は大量の土砂に埋もれて全く見えない状態でした。
それであれば、せいぜい滑落しても数メートル。擦り傷くらいは負う可能性はありますが、不意な落石でもない限り、最悪川床まで下りて迂回すれば比較的容易に突破できるだろう、と考えていたのでした。
ところが今回目の前に現れた崩落地は、かつて路盤を埋めていた土砂が失われ、擁壁が姿を現して段差を形成し、一歩間違えると5メートル以上ダイビングした末に、鋭利な砂利の河原に叩きつけられるという危険な状況に様変わりしていました。
ヨッキれん氏もレポートで「もう2度と地表に現れることはないだろう。」と述べており、私も土砂の量が増えることはあっても減ることはないだろう、と思っていたのですが、ひとたび大雨に見舞われた寸又川は、あれほどの土砂をも流し去るほどの圧倒的な水量と水圧を持っているのかと思うと、畏怖の念を抱かずにはいられません。
実はこの前年、2014年にもほぼ同時期にこの地を訪れており、全く同じ状態であることは既に確認済みでした。そのときは前日が雨天だったこともあり、崩落地の地盤が水を含んで非常に危険だった為、突破を断念したのでした。
それから一年、もしかしたら再び土砂が崩落して川床に達して歩きやすくなっているかも…という淡い期待は裏切られ、遠目に見る限りは前年より崩落が進んで傾斜がやや緩くなっているように感じられましたが、根本的な状況は全く変わっていませんでした。
先に引用した寸又峡温泉開湯三十周年記念誌の記述が、全く誇張でないことが実感できます。
ひとまず心を落ち着けて、歩みを進めることにします。
嫌でも目に入る大崩落までの間は、路上に落石等もほとんど見られず、比較的良好な状態を維持しているようです。
これも、もし落石等が発生したとしても冠水時に全て洗い流されてしまうからなのでしょう。
これまで路肩は路面と同一の高さでしたが、ここから先は路肩に段差が出来ています。
心理的には安心感か増しますが、有効幅は減るという諸刃の剣。
そしてここを変化点として、路肩の法面(というか崖面)と路盤の状態がそれまでよりも悪くなり、路肩の段差の影響からか路上に堆積物も見られるようになってきます。
路肩のモルタル覆工部には、銘板が埋められていました。
昭和52年11月竣工
道路災害防除工事
(第二工区)
モルタル吹付
厚 7.0cm
面積 4733.0m2
技研建設株式会社施工
静岡県
1977(昭和52)年には大規模な覆工による災害防除が行われたようです。
…が、それから40年近くの時を経て、空しくも覆工は自然の力の前に成すすべもなく敗れてしまいました。
この周辺までくると、コンクリートの路盤が陥没している箇所が現れ始めました。
写真の辺りでは、破断した旧路盤が一枚板のように斜めに横たわり、路面だった部分には、盛土として用意されたものか冠水で流入したか判然としない土砂と、これまた元々の岩盤なのか落石なのか区別のつかない岩塊が見てとれます。
次第に近づく大崩落地。
手前にはほんの僅かではありますが、離合スペースが設けられていました。せいぜい自家用車2台、大型車なら1台がすれ違うのもやっとといったところでしょうか。
離合区間を過ぎると、あとは一歩一歩進むたびに、足のすくむような光景が無言の圧力をもって近づいてくるのみです。
日原など大規模な崩落地は他にも踏破した経験がありますが、日原よりは確実にまずい雰囲気を感じます。
高低差でいえば日原のほうがはるかに落差があるのですが、それだけに悪あがきすれば途中で何とかできそうな余裕がありますが、こちらは5メートルほど以上あろうかという擁壁と崩落面の間に余裕が全くなく、滑落即転落という不吉な映像が脳裏をよぎります。
ふう、と一呼吸整えて崩落地へ進入します。
前年の訪問時も中間の川床まで土砂が届いている地点までは行っているのですが、この区間は粗い岩に覆われており、脚を踏み入れたそばからザラザラと音を立てて足元が崩れてゆき、全くグリップが効きません。
それゆえ、コンクリートの路肩が露出しているのを幸いに、なるべく下側をゆっくりと進みます。
しかしそれもほんの10~20m程度でしょうか。巨大な岩が行く手を阻み、そのまままっすく進路を取ることができなくなります。
来た道を振り返ります。
ここまではほぼ路肩に近い部分をトレースしています。
進路に戻り目線を上にやると、もうどう見ても崩れるだろう、これは…という斜面。
一歩登るたびにザラザラ崩れるので、まともに水平方向へ進路を取ると、たちまち足元を掬われます。
そのため、巨岩を高巻きする格好で、なるべく上方に進みつつ徐々に前方へ移動するように進路を取ります。
この崩落地の最初のヤマ場といえる場所です。
崩落斜面の上部を眺めると、いつ私に襲い掛かろうかと舌なめずりをしているような岩塊の数々。
実は探索当日、20時23分頃に小笠原諸島西方沖を震源とする最大深度5弱の地震が発生しており、奥大井では震度1程度の揺れだったようですが、探索中だったらと思うと背筋の凍る思いでした。
最初の難所を越えて、河原まで土砂が流出している地点までやってきました。
当然油断は禁物ですが、ここであれば滑落してもさほどの被害を受けずに済みそうで、少しだけ安堵します。
一旦河原に降りてこの先の進路を確認します。
前回はこの地点から先の区間の斜面があまりに急すぎた上に足元から水が染み出すような状況だったので、ここで断念して折り返しましたが、今回は当日までしばらく降水もなく、また昨年に比べていくらか土砂崩落が進んで斜面が緩くなった印象を受けたので、凡そのルートを目視で決めて、行ける所までは進んでみることにしました。
とはいえこの急斜面。特に擁壁間近の部分は土砂が密で滑りやすそうなので、上部を高巻きするルートを選択しました。
再び斜面を登りなおし、かなり高い位置まで登ってきました。前方には、今自分がいる崩落地が空想世界であるかのごとく、廃道が非常に良好な状態で残存しているのが見て取れます。
あの地点まで無事に辿り着けるか。細心の注意を払いながら、一歩ずつ慎重に進みます。
この辺りは土砂の密度が高いのですが、それまでのザラザラ斜面とは異なり、硬く締まりすぎていて、爪先で土を蹴り足場を確保しようとしても全く削ることが出来ず、ソールのグリップに全てを託すことになり、これまでとは違った意味で神経を使います。
さきほどと代わり映えのしない画ではありますが、相変わらず大量の土砂が私に向かって刃を研いでいます。早く通過してしまいたいという焦りと、慎重に進まねば滑落するという葛藤に襲われます。
平常心を失わないように、黙々と「最も危険でない足場」を探りながらの横断が続きます。
「安全な足場」は存在しないのです…。
この崩落地で最も状況の厳しい区間です。
なるべく大きな岩が露出している場所を選んで進みます。少し下の土砂が密な部分は、少しバランスを崩しただけで滑ってしまい、途中に手掛かりもないのでそのまま擁壁下まで転落し、最悪の状況を招いてしまいます。
何とか最難関の区間を突破することができました。
振り返ってみてもその険しさが実感でき、正直なところもう二度と通りたいとは思いません…。
僅かな残り区間がありますが、ひとまず滑落の危険を回避できる場所まで到達しました。
後背上部には、まだいつ崩落するとも分からない多量の土砂があるので本来は斜面の途中で長居するのは得策ではないのですが、それまで神経と肉体とを駆使して斜面に挑んでいたので、水分を補給しつつ、少し休憩して心身共に落ち着きを取り戻しました。
朝日トンネルの開通前にこの区間が崩落で通行止めとなった記録はないので、この大崩落はトンネル開通以後、この道が廃道になってから生じたものと思われます。
トンネルの掘削が地山のバランスに影響を与えたが故の崩落なのかは分かりませんが、理由はともあれ、奥大井の道は県道、市町道、林道いずれも、いつこのような崩落が発生してもおかしくない立地にあるということだけは確かです。
崩落地を視野から外し、休憩しながら眺める寸又川は、新緑が映え、川音と共に実に爽快な光景で、今自分が身を置いている場所が崩落地の真っ只中でなければ、ここで弁当でも広げてのんびり過ごしたいくらいです。それほどこの場所は、周辺の光景との落差が激しいのです。
手を伸ばせば届きそうな行く手を眺めて、最後の気力を振り絞って進むことにします。
改めて今通り過ぎてきた斜面を眺めます。
本来であれば自分の足跡など何らかの痕跡が残っていてもおかしくないのですが、崩れてしまうか硬くて跡が残らない、という状況のため、全く判別することができません。
今改めてこの斜面で自分がトレースしたルートを描け、と言われても、通過することに夢中だったこともあって自分でも「上のほうを歩いた」としか言えません。
無事に崩落地点を踏破しました。
栗代側の景観は、最初から「これから先を通ることはまかりならない」と言わんばかりに巨岩が進路に立ちはだかっています。
ところで、「無事に」とは書いたものの、実はここまで記していませんでしたが、この区間を通過する間に、三回ほど滑落をしています。いずれも幸い大事には至りませんでしたが、一歩間違えれば大変な自体を招いていた可能性も否定できません。
かようにこの区間は大変危険なので、当記事をご覧の方で興味をもたれた方がいらっしゃったとしても、絶対に真似をしないでください。
現地の環境は日々変化していますし、踏破にはそれぞれ個人によって異なる経験と技量、それ以上に時の運とが重なっており、「誰かが以前通り過ぎることができた」という事実は、「今自分が踏破できる」という事の保証には一切なりません。
また、次回ご紹介しますが、この道は反対側からも容易にアクセスすることが可能ですので、危険を冒して無理に崩落地を通過する必要は全くありません。
この記事はあくまで管理者が踏破した事実のみをお伝えするものであり、当記事をご覧になってこの区間に進入し、事件、事故などに遭遇されても、管理者は一切その責を負いません。
安全なエリアから、恐怖感を思い出しながら崩落地を振り返ります。
特にこの擁壁が露出している区間が最も危険です。
比較対象物がないので分かりにくいですが、少なくともこの擁壁は軽く私の二倍以上はありました。私はあまり背が高い方ではありませんが、やはり落差5m以上あることは間違いないと思います。
最後になりましたが、この区間の踏破状況をGoProで記録しました。
15分20秒ほどと長いですが、危険度が十分にご理解いただけると思いますので、是非ご覧いただき、進入はせず現場の状況を疑似体験して頂ければと思います。
それでは平静を取り戻した道を、引き続き進んで行きたいと思います。
[ご注意]
廃道区間は崩落・落石などで大変危険な状態です。当ブログはこの区間への立ち入りを一切推奨いたしません。
また、記載された内容は訪問時点のものであり、自然災害や人為的改変などにより、現状と大きく異なる場合があります。
当ブログを閲覧して廃道区間に立ち入り、事件・事故等に遭遇した場合でも、当ブログ管理者はその責を一切負いません。