国道152号は、長野県上田市の国道18号大屋交差点を起点とし、長和町、白樺湖、茅野市、杖突峠、伊那市高遠、飯田市上村・南信濃、静岡県浜松市天竜区・浜北区を経て浜松市の国道1号連尺交差点を終点とする総延長264.1km、中部日本を縦断する路線です。
通過する経路は、大門峠で霧ヶ峰を越えて茅野に至る大門街道、諏訪湖から杖突峠を越えてコヒガンザクラで有名な高遠に至る杖突街道、飯田から火伏せの神として広く信仰された秋葉神社を経て浜松に至る秋葉街道の道すじを踏襲しています。
ほぼ全線に渡って中央構造線に沿っており、途中には大門峠、杖突峠の他にも分杭峠、地蔵峠、青崩峠、などいくつもの峠越えがあります。中でも地蔵峠と青崩峠は国道が貫通していない、いわゆる点線国道となっており、それぞれ蛇洞林道、ヒョー越(兵越)林道で迂回しています。
青崩峠については中央構造線と併行することから難工事が予想され、一旦兵越峠方面へ迂回するルートが策定され、高規格の草木トンネルが開通しましたが、その後の地質調査でこちらのルートの地質がかなり不良であることが判明して計画が変更され、青崩峠西側の比較的地質が安定されていると見られるルートに新たにトンネルを掘削することになりました。2014(平成26)年3月に調査坑が起工され、現在徐々に工事が進められています。
中央自動車道飯田山本インターチェンジから新東名高速道路浜松いなさジャンクション間を結ぶ三遠南信自動車道は、早期開通を図るために現道国道152号を活用して整備を行うこととしており、今回ご紹介する豆嵐トンネルも「国道152号 向井万場拡幅」の一部として事業化された区間です。
この拡幅改良は総延長6.3km、1977(昭和52)年に着工され、この豆嵐トンネル区間が2011(平成23)年7月に開通したことで完成をみています。
まず今回は、旧道を往く前に、向井万場拡幅事業の一環として最後に建設された上中郷工区の新道をご紹介いたします。
飯田側から南信濃へ向けて新道を進みます。まだ新しさを感じさせる二車線の立派なワーレントラス橋の傍らに、新道と旧道の分岐点があります。
「この先通り抜けできません」の看板が掲げられており、入口にはチェーンがかけられ「立入禁止」の札が下がっています。
新道のワーレントラス橋はワンスパンで上村川を一跨ぎにしています。将来的に三遠南信自動車道の一部として活用されることからか、かなり立派な造りになっています。
銘板です。橋の名前は「豆嵐橋」。完成は2008(平成20)年12月。この区間の供用は前述の通り2011(平成23)年7月ですから、かなり早い時期に完工していたことになります。
豆嵐橋
2008年12月
長野県
道示 (2002) B活加重
使用鋼材:SMA400W SMA490W製作:株式会社ヤマウラ
製作は駒ヶ根市に本社を置く地元ゼネコンのヤマウラです。建築・土木でかなりの実績を持つ同社ですが、ルーツは鉄工所なので、こうした鋼構造物はお手の物といったところなのでしょうか。
橋といえば銘板チェック。左岸下流側は漢字で「豆嵐橋」。
左岸上流側は「上村川」。
右岸上流側は平仮名で「まめぞればし」。
右岸下流側は「平成21年1月5日」と日付が記されています。
銘板には2008(平成20)年12月とありましたが、こちらでは翌年新年早々の日付となっています。
橋の上から旧道を眺めます。
現道とは比べ物にならない狭い道です。復路はあちらの道を通って戻ってくる予定です。
この工区で最後に完成したのが、この豆嵐トンネルです。
扁額。記号はなく誰の書かは分かりませんでした。
北側坑口の銘板です。
豆嵐トンネル
2010年8月
長野県
延長 470.41m
幅員 6.5m 高 4.5m
施工 株式会社岡谷組
こちらは岡谷市に本社を置く岡谷組の施工です。
同社のウェブサイトでも、土木工事の「実績のご紹介」ページで一番上に紹介されています。
内部へと入ってゆきます。
ナトリウムランプが両側に設置されており、とくにそれ以外に目立った構造物や設備は見られず、極めてシンプルな景観です。
途中でゆるやかなカーブを描いています。
まだ新しいこともあってか汚れ劣化も少なく、つるりとした印象です。
出口が迫ってきました。
「下り坂」
とだけ記された電光掲示が吊るされています。
北側坑口から南側坑口までは下りの片勾配になっており、地理院地図で計測したところ、南北坑口の高低差は約30m。延長が470mですから、単純計算で6%強の勾配ということになります。
北側は豆嵐橋を渡りきるとすぐにトンネルに突き当たりましたが、南側も同様に、トンネルを出るとすぐに橋梁になっており、豆嵐トンネルは橋に挟まれた格好になっていました。
豆嵐トンネル南側坑口。
地盤がやや弱いのか、坑口周囲の斜面には、アンカーが頑丈に打ち込まれていました。
南側の銘板です。
記載されている内容は北側と全く同様でした。
橋梁の銘板をチェック。
右岸下流側は「上村川」。
右岸上流側は「宮の下橋」。
橋の上を移動していると、眼下に上村川と旧道のロックシェッドが見えていました。
さらに進行方向の眼下に目をやると、旧道が川沿いに続いている様子が見て取れます。
現道と対比すると、いかに幅員が狭いかがよく分かります。
続いて左岸側の銘板。
下流側は「平成19年2月16日」。上流の豆嵐橋より2年近く早い竣工で、この工区では最も早くこの橋が完成していたようです。
最後に左岸上流側の銘板は平仮名で「みやのしたばし」。
宮の下橋の全景です。豆嵐橋がトラス橋であったのに対し、こちらはPC橋のため、あまり橋らしさを感じさせません。
橋を渡り終わると、眼下には旧道の橋が見えました。
旧橋は、距離を短くするためか川に対してなるべく直角に近い形で渡ろうとしており、線形に無理が生じてカーブの内側だけが広くとられた変則的な形状をしているのが分かります。
詳しくは旧道に入ってから眺めることにして先へ進みます。
南信濃側の旧道との分岐点に到達しました。
こうしてみると、新道は幅員も広く極めて直線的で、非常に走りやすく建造されていることがわかります。
対して2011(平成23)年まで現役だった旧道がどのような道であったのか、次回以降詳しくご紹介したいと思います。
(続く)