その1からの続きです。
前回は「国道152号 向井万場拡幅」事業区間となる新道をご紹介しましたが、今回からはいよいよ北上するかたちで旧道を進んでゆきます。
現道と旧道の分岐点です。
この周辺の現道は拡幅事業の効果で非常に快走できるため、ちょっと油断していると見過ごしてしまいそうです。
旧道へ進みます。
道路の状況からすると、この区間はもともとの旧道ではなく、改良に際して高低差のある旧道との取り付けのために敷設し直されたものと思われます。
左手を現道の擁壁、右側を上村川の流れに挟まれた一車線の道の途中に看板が建てられていました。
「この先 通り抜けできません」
先の写真の通りすでに入口の段階でカラーコーンが立てられ暗黙のうちに車の進入を阻んでいるのですが、この注意が車に対してのものなのか人を含むすべてを対象にしているのかは曖昧です。
坂を下りきるとほぼ直角に近い急カーブで上村川を渡ります。
橋は三径間のコンクリート橋です。
なるべく橋長を短くするためか、橋は川に対してほぼ直行しています。
そのため取り付け部分は、そのままでは直角に近くなり大型車の通行が困難なため、イン側が斜めに拡幅された状態になっています。
拡幅部分は桁の構造が若干ことなるため後年の改修のように思えるのですが、後ほどご紹介する親柱のコンクリートの状態は他の欄干部分とさして変わらない年代のようにも思えます。
国土地理院の空中写真閲覧サービスなども確認してみましたが、さすがに解像度が低くここまでの詳細な形状は確認できなかったので、この形状が架橋当時からのものなのか、それとも後年の改修によるものかは分かりませんでした。
橋といえば親柱の銘板チェック。
まずは右岸上流側は「みやのしたばし」。
向井万場拡幅事業で新設された橋にその名が引き継がれていますが、新しい橋に「新」などの名を付与して区別をしていないため、「宮の下橋」は二本存在することになります。
続いて右岸下流側の親柱。
こちらは先に述べた通りカーブをスムーズに曲がれるように拡幅されているため、親柱も角柱ではなく防護壁のような形状になっています。
銘板は「昭和三十八年六月竣功」。
欄干はコンクリート製。
水平材も鋼管ではなくコンクリート角柱を用いています。
左岸上流側の銘板は「県道大鹿水窪線」。
国道152号に指定される以前、この道は主要地方道県道8号大鹿水窪線でしたが、1970(昭和45)年4月の国道152号の経路変更により、国道に昇格しています。
しかし長野県と静岡県とを跨いでいたこの県道は、長野県側は1976(昭和51)年10月に廃止、静岡県側は1975(昭和50)年4月に国道152号に編入とされており、長野県側のこの区間の廃止時期と国道152号への編入時期にずれが生じています。
単純に書類上の問題なのか事情は分かりませんが、とにかく旧県道の名残を今に伝える貴重な銘板と言えるでしょう。
左岸下流側の銘板は漢字で「宮の下橋」。
下流側から橋を眺めてみます。
左岸側もカーブ内側にあたる部分は、右岸側と同様に拡幅された形状になっています。「県道大鹿水窪線」の銘板が取り付けられていた親柱の形状も、右岸側と同様でした。
橋を渡り終えると、道は川に沿って左カーブを描いて北上してゆきます。
カーブを曲がりきると、現宮の下橋の橋脚が圧倒的なまるで立ちはだかる城壁のように見えてきます。
旧道を押しつぶしそうな迫力のPC桁です。
左手に目をやると、(新)宮の下橋の下流側橋台がよく観察できます。
岩盤の上に設置されており、橋を通すために右手の山をかなり大規模に削り、コンクリートで養生しており、平凡な見た目とは裏腹に、意外と大規模な工事であったことが伺えます。
橋は平凡な二径間のPCラーメン橋ですが、橋脚は河川内ではなく左岸(旧道側)の地上に設けられており、両径間で二度上村川を渡っている構造になっていることがわかります。
橋脚のある辺りは道幅が広がっています。
この先旧道には前回現道の橋の上から眺めたロックシェッドがあるのですが、幅員が狭く現役当時は信号機による片側通行が常時実施されていました。私は以前仕事でこの道を良く通っていましたが、なにぶん二十年近く前の事であり、景観も大きく変わっているので記憶が定かではありませんが、確か南側の信号機はこの辺りに設置されていたような記憶があります。
旧道から見上げる豆嵐トンネルの南側坑口。
こちらは宮の下橋の橋台と坑口が、ほぼ一体で建造されています。
そして急傾斜地に半ば強引にトンネルを開削したことがわかります。
カーブを曲がりきると、いよいよロックシェッドとその先の隧道が見えてきます。
新旧隧道の競演。
ロックシェッドの手前、車線幅員が狭まる地点でアーチ型の車止めが進路を塞いでおり、隧道内は車での進入ができないようになっていました。
車止めを越えて更に先へ進みます。太い柱と厚みのある屋根に覆われた頑強なロックシェッドの姿が徐々に近づいてきました。
対岸には豆嵐トンネルの坑口がその姿を見せています。
坑口後背には十字型のアンカーが多数打ち込まれており、ごく僅かなポイントを探り当てて新道の路線が設計されたことを伺わせます。
次回は旧隧道に向かって歩を進めてゆきたいと思います。
(続く)