国道152号 豆嵐トンネル旧道 その3

その2からの続きです。

上村川はこの周辺で蛇行しており、突き出した尾根を貫通する形で隧道が穿たれています。
その手前の上村川の攻撃斜面にあたる部分は急傾斜地になっていることからか、上部構造が厚く柱も太いロックシェッドで防護されています。
向井万場拡張事業に際しても、事業概要図に「落石危険箇所(要対策)」と記されており、地形的な制約も多いことかに、ここは現道を改良するよりも新規に道路を建造した方が良い、というのはすぐにわかります。

国土交通省道路局 平成20年度再評価(平成21年度予算)結果
「一般国道152号 向井万場拡幅 再評価結果」事業概要図より引用

こちらは毎年国土交通省が実施している、事業継続の妥当性を再評価する事業評価制度に基づき、2008(平成20)年に実施された、向井万場改良の事業概要図です。

上図は区間全体なので少々文字が判読しづらいため、今回ご紹介している区間を拡大したのが下図です。

国土交通省道路局 平成20年度再評価(平成21年度予算)結果
「一般国道152号 向井万場拡幅 再評価結果」事業概要図より引用

この再評価においては、既に今回ご紹介している豆嵐トンネル区間以外の、事業区間の85%が完工していること、用地進捗率は100%でありトンネル工事を含む未開通区間の工事を進めれば2年後には供用が開始でき、当初の目的が達成できるとして予定通り工事が進められることが決定し、現在の姿になっています。

ロックシェッドの入口から現道を。宮の下橋にはかなり勾配がついていることが分かります。

ロックシェッド内部へ進みます。外見的にはあまり古さを感じさせず、ボックスカルバートの中を歩いているような感じです。

明り取り部から眺める上村川。かなりの水量があります。大雨の際などはこの区間はかなり危険な状態になったのではないかと思われます。

そして何やら道のような平場が見えます。これは地理院地図にも軽車道として描画されているもので、後ほどご紹介いたします。

隧道との接続部分近くは、コンクリート吹付された山側の崖地が露出していました。
上部構造の形状もここから変化するため、この部分が先行して施工され、手前の部分は後年延長されたのでしょう。

コンクリート吹付。柱も今までの区間よりは細くなっており、やはり年代が異なりこちらのほうが古い時期の施工であることを伺わせます。

先ほどの道を改めて眺めます。
かなり高低差があることがわかります。

そして隧道の坑口です。ロックシェッドと繋がってしまっているため、扁額の位置が隠されてしまっています。
こちらの隧道は「浦の沢隧道」という名称で、拡張事業に伴って建造されたトンネルに「新浦の沢トンネル」などの形で、その名を引き継がれることはありませんでした。

新トンネルの名称になっている「豆嵐」という名称は地理院地図などには記載されていないのですが、右岸と左岸で地名が異なっていたのでしょうか…。

「道路トンネル大鑑」によると、本隧道の開通は1965(昭和40)年とされています。それにしてはやや古い印象を受けるのですが、一応「大鑑」には、「素掘、覆工の別」の項には「素」と記述されています。

浦の沢隧道の内部へ入ります。
コンクリート覆工であったのは坑口付近のみで、内部は素掘りにコンクリート吹付された形になっています。

まるで人体の内部、腸壁のなかを歩いているような光景。

浦の沢隧道のスペックは、延長58.4m(道路トンネル大鑑では57m)、幅員3.8m、有効高4mと比較的短く直線の為、日中であれば少々薄暗いですが照明がなくとも通り抜けが可能です。

ロックシェッドを振り返って。

60mにも満たない隧道なので、出口はすぐに迫ってきます。

北側坑口へやってきました。
南側は隧道のかなり手前でアーチ型の車止めに塞がれていましたが、こちら側は坑口部分に車止めが設けられています。

北側から眺めた隧道内部全体です。

坑口を出ると、西側上村川寄りの部分に空き地が広がっており、そこから先はやはり離合困難な幅員の道が続いています。

北側の坑口です。斜面全体がコンクリート吹付で覆われており、地質があまり良くないことが伺えます。

扁額の位置には凹みがあり、準備工事だけ行われたのか取り付けたものが外されたのかは不明ですが、いずれにしても扁額は見当たらず、現地では「浦の沢隧道」といいう隧道の名称を確認することはできません。

先ほどロックシェッドから見えていた上村川に寄り添うような道はカーブミラーの先から分岐しています。

次回はそちらへ向かって進んでみましょう。

(続く)