その2からの続きです。
岩壁に木道をつけただけの歩道の廃道という浮世離れした光景を眺めつつ先へ進むと、水平歩道は志合谷(しあいたに)へと進んで行きます。
水平歩道は地形に忠実に進むため、志合谷は直線距離で対岸まで300mもないのですが、最奥部まで迂回するので1km歩くことになります。
対岸にはこれから進む道を眺めることができますが、あそこへ到達するのはこれからまだ数十分先のことになります。
しばらくして下を眺めると、廃墟のようなコンクリート造の建築物がみてとれます。
高熱隧道建設にあたり、志合谷横坑に設けられた宿舎の跡です。
ここに設けられた当時の作業宿舎は、1938(昭和13)年12月に泡雪崩という爆発的なエネルギーをもった特殊な雪崩に襲われ、対岸の幅800m、高さ1kmの「黒部の怪人」と呼ばれる奥鐘山西壁にまで500mも空中を舞って叩きつけられたという悲惨な歴史を持っており、その様子は吉村昭の小説「高熱隧道」でも語られています。
泡雪崩とは、通常の雪塊が崩れ落ちるような雪崩とは異なり、雪煙が最大で200km/hを超える速度で落下してゆくもので、大規模な煙型の乾雪表層雪崩です。衝撃圧により数百kPaもの力を生じさせることもあります。
事故後に再整備された志合谷の宿舎跡はこのように今も残存しており、廃墟然とした外観ながら、関電の施設として現在も利用されています。
鉈でスパッと割ったように道がつけられています。見事な光景です。
志合谷南側、対岸の道。
温泉小屋のご主人に伺った話では、以前ここの谷を滑落した女性がおり、ほぼ絶望的な状況の中で救援活動が行われたところ、奇跡的にも女性は生存しており、無事に救助されたということがあり、それが奇跡の生還といった題材を扱うテレビ番組でも取り上げられ、放映されたことがあるとのこと。
こんな急な懸崖を滑落したのに無事だったのは、背中に背負ったリュックがたまたま緩衝材の役割を果たしたことが大きかったそうです。
志合谷宿舎を改めて別アングルから。
もし機会があれば是非一度見学をしてみたいですね。
対岸の志合谷隧道の坑口がみえてきました。
じつは写真の右奥にもう一つ穴が空いているのがお分かりいただけるでしょうか。後ほど隧道内部からの写真をご紹介しますが、旧坑口の跡です。旧坑口の先が崩壊したために、更に迂回して隧道が延長されています。
志合谷最奥部に到達しました。かなり開けた大きな谷であることがわかります。
もし地表に道をつけたとしても、毎年のように繰り返される雪崩で全て流されてしまうのは目に見ており、落石の危険も非常に大きいため、ここから先、水平歩道はより安全な山体内部へと、その進路を選んでゆくのです。
地理院地図(国土地理院ウェブサイト)より引用
地図で確認すると、このように地下で谷を巻くようにU字型の隧道になっていることが分かります。
隧道北側坑口。草に囲われて唐突に出現した印象です。
延長は約150mほどあります。
線形からも分かるとおり、150m先の反対側坑口は視通が効かず、電気も通っていない為、隧道内は照明が必須となります。
素掘りで頭上や側壁には鋭利な岩が露出した部分が多数あるため、無用な怪我を防止する為にはヘルメットも装備が必須です。
カーブしながら奥へと進んでゆきます。
内部はこの通り。照明一つないので丸腰で進入するとかなり危険です。
ちなみに上の写真奥には青く光った照明のようなものが見られますが、これは設置された照明ではなく、前を行く温泉小屋のご主人のライトですので念のため。
途中には補強のため巻き立てが見られます。古レールを用いているのですが、ツアーでほかの方もいらっしゃるので銘などは確認できませんでした。
恐らくは上部軌道のもの流用しているものと思われます。
そして出口に近づくと、外光が差し込んでくるのが見えてきますが、これはトラップ。
先ほど述べた、旧坑口の跡です。現在は岩で壁を作っていますが、上部は空いているので、その気になれば旧坑口から志合谷を観察することも可能でしょう。
しかし非常に危険で一瞬の油断が即事故に繋がる場所なので、お勧めはいたしません。
ようやく先ほど対岸から眺めた南側坑口へ。
欅平から4.8kmほど歩いてきたことになりますが、まだ阿曽原までは6.8km。半分にも満ちていません。ちょうど半分くらいは歩いたかな、と思っていたのでこの看板を見たときには若干心が折れかけました(苦笑)
志合谷奥部から眺める奥鐘山。
隧道工事の宿舎は、少し手前の山の陰に隠れてしまっていますが、奥鐘山正面下部の西壁まで吹き飛ばされたということになります。
正直なところ、スケールが大きすぎて全く想像ができません。
自然というものは人知を超えたものであることを実感させてくれます。
隧道を抜けてからは奥鐘山を眺めながらの歩きとなります。こちら側は南側で陽光があまり当らないことからか草などの植生が少なく遮蔽物がないため、谷が直接見える箇所が多く、いささか緊張感が出てきます。
しばらく進み、ふと振り返ってみると、志合谷の険しい地形を一望することが出来ます。完全にやばい谷です。ガイドして下さった阿曽原小屋のご主人によると、トンネルの暗さが怖くて外の谷を歩き、滑落遭難した方が過去にいたそうですが、いくら暗いところが怖いとはいえ、私には真似できません。
絶対谷の方が怖いのによくそんな選択をしたな…と、人それぞれに恐怖のポイントは異なるとはいえ、緊迫した瞬間こそ一息置いて冷静な判断をせねば、と自戒した次第です。
志合谷を越えると、水平歩道のハイライトともいえる絶壁「大太鼓」がいよいよ迫ってきますが、それは次回に。
最後に水平歩道の沿道に建植されていた国有林借地標の木杭を。
何者かによってえぐられています。よく見ると黒い毛がこびりついていました。熊の仕業です。
阿曽原小屋のご主人いわく、熊は油や塗料など揮発性のものによく反応するのだそうです。そして要するに熊がいる、っていうことですよね、これ(涙)
地理院地図(国土地理院ウェブサイト)より引用
(続く)