その2からの続きです。
無事に帰還式を終えた後は、しばし小休止。
12時30分から奥飛騨温泉口駅と神岡大橋駅の間を体験運転で5往復するまでの間、車内は一般開放され、体験運転に参加できなかった方々も中を見学し、椅子に腰掛け往時を懐かしむことが出来ました。
会場では、出店が多く立ち並び、獅子舞なども行われ、とても賑わっていました。
子供向けには熊を模した「くまとろ」号も。こどもたちを載せて構内を往復。
神岡地区には循環バスが走っているのですが、地元の中日新聞販売店さんが開業80周年を記念して、このうち1台を2017(平成29)年3月に神岡鉄道カラーにラッピング。「おくひだ3号」と名づけられたこのバスは、この晴れの日にも神岡の街を巡回していました。
いよいよ体験乗車会の時間が迫ってきました。私が当選したのは第一便。
この葉書が自宅のポストに投函されているのを見つけたときには、小さくガッツポーズしたものです(笑)
そして受付を済ませて当選券と引き換えに頂いた乗車券。
なんとA型硬券を模した非常に凝ったものでした。
これはファンにはたまらないプレゼントとなりました。
体験乗車会の出発を控えたおくひだ1号。
車内にはアテンダントとしてペッパー君が乗車。
車内は同様に6.6倍の狭き門をくぐり抜けて当選を果たした皆さんや、マスメディアの取材陣が乗車。
そして定刻12時30分、おくひだ1号は神岡鉱山前駅からの帰還運転のときと同様に、汽笛一声、ゆっくりゆっくりとエンジン音を響かせながら神岡大橋駅へと向い走り出しました。
私はおくひだ1号名物囲炉裏シートに陣取り、往路はとにかく写真などを撮らず復活したおくひだ1号の走りを噛み締めていました。
そのため走行の様子の写真が一枚もなく申し訳ありません。
本当に10年ぶりにこの列車がこれだけの人を乗せて走っている…。
思わず目頭が熱くなり、涙が流れそうになるのを必死になってこらえていました。
沿線には多くのファンがカメラを構え、手を振り、時速15kmというゆっくりした歩みながら、10年ぶりの復活を心から祝福しているのが実感できました。
折り返し地点の神岡大橋駅。
ここで10分弱の休憩です。開扉は行われず車内待機となりましたが、車窓から「かみおかおおはし」の駅名板を見ていると、まるで本当に神岡鉄道で旅をしているような気分になりました。
復路は運転台後部に陣取り、体験乗車会の前面展望動画を撮影しました。
おくひだ1号が復活した様子を疑似体験頂ければと思います。
運転会終了後、参加者が下車したところで車内を撮影。
固定クロスシートの手摺も、いまとなっては懐かしさを感じさせる存在になってしまいましたね。
囲炉裏シート。走行中ゆらゆら揺れる鉄瓶は大人気で、乗車会中も多くの人が鉄瓶と一緒に記念撮影をしていたのが印象的でした。
2便以降は私も沿線に繰り出して、おくひだ1号の走りを今度は屋外からじっくりと味わいました。
今回の復活運転のきっかけは、「レールマウンテンバイク Gattan GO!!」の基地である奥飛騨温泉口駅に、車庫に保管されていたおくひだ1号を展示して利用促進につなげよう、という、こういう言い方をすると失礼かもしれませんが極めて単純なものでした。
ところが陸送しようと見積もりをとったところ、輸送費が2,000万円もかかるという壁にぶつかります。
そんな費用はとても捻出できない。そこで「線路が繋がっているのだから自走できないか?」というこれまた単純な発想で10年間眠っていたエンジンをかけてみたら何と始動。しかし当然のことながら、10年間メンテナンスされていなかった各機構部品は経年劣化しており、エンジンは掛かるが車両は動かない…。
そこから苦闘がはじまり、神岡鉄道の元職員やジェイアール貨物・北陸ロジスティクスの協力を仰ぎつつ、こうしてようやく自走できるまでにこぎつけることができたのです。
関係された皆さんのご苦労はいかばかりであったかと、考えるだけでも頭が下がる思いです。
神岡大橋とおくひだ1号。
こうしてみていると現役当時さながらの光景です。
最終便の到着を見届けて、舟津地区にある「平成の芝居小屋 舟津座」で開催された、「日本ロストライン協議会」の設立総会・調印式に一般参加しました。
日本ロストライン協議会は、今回のおくひだ1号復活運転に合わせ、同じように各地で廃線活用を行っている団体にも参加してもらい、情報交換、相互交流の団体を結成しようという機運が高まったことから発足することになったものです。
当日は基調講演として、大の鉄道ファンとして知られる石破茂衆議院議員の基調講演と、かねてから「Gattan GO!!」と交流のあった秋田県「大館・小坂鉄道レールバイク」と宮崎県「高千穂あまてらす鉄道株式会社」、そして神岡の座例発表会が行われました。
石破茂氏は、前地方創生大臣という立場から、鉄道ファンとしての自らの体験から産業観光が注目を集めていること、そしてこれから30年で人口が急激に減少する中、「消費する街」である東京に人が集中し、「生産する街」である地方の人口が減少・衰退する状況が続くことはこの国の未来に関わる問題であり、こうした活動が地方を活性化し、地方に人を呼び戻し新たな観光という産業で息を吹き返すきっかけになるという持論を展開。
引き続いて「高千穂あまてらす鉄道」と「大館・小坂鉄道レールバイク」の事例紹介、観光庁からのインバウンドに関するレポートを挟んで神岡の事例紹介が行われ、最後に上記三団体をはじめとして趣旨に賛同する各地の廃線活用を進める団体による調印式が行われ、最終的には12団体が参加して協議会が正式に発足しました。
調印式のあとは参加団体による交流会となったので、一般参加の私はここで離脱。舟津座を出たときにはすっかり日も沈んでいました。長い一日ではありましたが、様々に貴重な体験をし、保存活動に関する新たな知見を得ることもでき、個人的には大いに充実した一日を過ごすことができました。
各地の事例などを聴講していると、どの団体も限られた人数や予算、行政の壁といった共通の課題を抱えており、これまでは各団体が各々個別に四苦八苦しながらの運営が行われていましたが、この協議会の設立によって横の連携が深まり、廃線保全活動やそれに携わる方々の地位向上と安全確保に寄与することを願って止みません。
(了)