注記:2018年12月現在、旧道部分を撤去し護岸整備工事が行われていることを確認しています。
濃尾平野には、木曽川、長良川、揖斐川のいわゆる「木曽三川」をはじめ、日光川、新川、庄内川、矢田川など多数の河川が流れています。
特徴的なのは、いずれの河川も堤防上に道路が設けられて、流域の街を結ぶ短絡路として機能していることが挙げられます。
愛知県瀬戸市、2005年の愛・地球博開催にあたり里山保護でクローズアップされた「海上(かいしょ)の森」を源流とする矢田川も、そんな「堤防道路」を持つ河川の一つです。
矢田川の堤防道路は、名古屋市千種区千代田橋と守山区小幡の間を結ぶ千代田橋の袂から下流へ向けて進み、矢田川と庄内川が合流する愛知県道63号名古屋江南線の庄内橋までの8.5kmほど続いています。
その間、堤防道路は愛知県道関田名古屋線(宮前橋)、名古屋鉄道 瀬戸線、愛知県道15号名古屋多治見線 [瀬戸街道](矢田川橋)、JR東海 中央本線(矢田川橋梁)、国道19号(天神橋)、愛知県道102号名古屋犬山線(三階橋)、国道41号(新川中橋)と交差しています。
このうち、宮前橋、名鉄瀬戸線、矢田川橋との交差部分は交差点・踏切による平面交差となっていますが、それ以外はアンダーパス(天神橋は下流方向行き車線のみ)となっています。
通常このようなアンダーパスを設ける場合は、堤防の外側、陸地部分へ道路を潜らせるのが一般的かと思いますが、矢田川の堤防道路では、中央本線、三階橋との交差部分では、河川敷側に道を通していました。
そのため、河川が増水すると冠水による通行止が発生するなど危険な状態であるため、三階橋との交差部分については、2007年から開始された三階橋の架け替え工事に合わせて堤防の外側へ道路を移設する工事が行われました。
それにしても「三階橋」というのは一風変わった名称です。これは、矢田川の川床下に「矢田川伏越」と呼ばれる庄内用水の水路が通されており、これを一階に見立て、矢田川が二階、橋はその上に掛かるので「三階」橋と名づけられたのです。
矢田川伏越については後日項を改めることとし、今回は三階橋の架け替えに伴い廃道となった河川敷側のアンダーパスをご紹介いたします。
「廃道」というと山間の峠や海沿いの険しい場所などを思い浮かべる事が多いと思いますが、実は大都市の中にもひっそりと存在しているのです。
上流側から下流方向を眺めます。正面を横断する橋が三階橋です。
かつては直進方向は脇道扱いで三階橋の通る県道102号への連絡路となっており、写真中央の仮設ガードレールで塞がれた、河川敷方向が本線となっていました。
旧道を塞ぐように設置された仮設ガードレール。
恒久的なガードレールを設けていないのには、緊急時に利用する等、何か理由があるのでしょうか。
この角度から見ると、本来のガードレールが河川敷方向に続いており、アスファルト舗装された旧道が河川敷へ下って行く様子がわかります。
なお、河川敷にある舗装道路は自転車道で、自動車が通行できるほどの幅員がありますが、車両の通行はできません。
分岐部を反対側から。
かつては三階橋を越える交通は、全てこの河川敷ルートを利用していました。
このルートが三階橋架け替え工事と一体で行われた付け替え工事によって廃止されたのは、正確な日時は不明ですが、2013年春のことでした。
廃止から5年近く経ち、ひび割れたアスファルトの隙間からは草も生えてきています。
新三階橋は矢田川を二本の橋脚のみで跨いでいますが、旧三階橋は1927(昭和2)年建造のRC造桁橋で、実に11本もの橋脚が設けられていました。橋脚のスパンの間に道を通すため、線形がややグネグネと曲がっており、往時は微妙なハンドル捌きを要求され、対向車が来たときなどは少しヒヤリとする時もありました。
「この先カーブ」の路面表示。
路面表示と併せて「つづら折りあり」の警戒標識も設置されていました。
こちらは付け替えられた現道です。
曲線は旧道に比べて緩和されましたが、その分スピードを出す車が増え、交差部は余地が少ないので、やや危険です。明示的に通行禁止にはされていないですが、歩行、自転車など軽車両での通行は控えた方が良いですね。
三階橋工事に辺り、橋の下の道は一時オフセットするなどしていたため、アスファルト上には車線の跡が複数交錯しています。
旧道を上から見下ろして。
新三階橋の下へとやってきました。
旧三階橋は前述の通り1927(昭和2)年建造と古く、片側一車線でした。
この橋を通る県道102号は、小牧方面と名古屋市内とを結ぶ重要な道路で、なおかつ橋の南側では黒川方面からの102号と上飯田方面からの市道(両者ともに片側二車線)が片側一車線の三階橋に集中する形となっており、慢性的な渋滞を引き起こしていました。
そのため、新三階橋では、黒川方向、上飯田方向からの流れを円滑にするため、高速道路のインターチェンジのランプウェイのように、上飯田方面から北上する車線を連絡路として三階橋の更に上に通すことで平面交差を無くし、信号による支障で生じる渋滞を緩和することになりました。
そのため、もともと矢田川伏越を一階、矢田川を二階に見立てて「三階橋」と名づけられましたが、現在は四階橋とでも言った方がよい構造になっています。
上手く言葉で説明するのが難しいので、地図で橋の状況をご確認頂ければと思います。
いかにも都市的な景観。この風景だけを切り取ると、この下に廃道があるとは想像もつきません。
工事の関係からか、三階橋の西側下流方は、一部舗装が剥がされ砂利が露出していました。
堤防上へ復帰する上り坂。
こちらは途中までコンクリート舗装になっています。
下流側で増水時には水流を受ける側になるためか、西側上流部に比べ荒廃が進み、増水時に漂着したと思われる堆積物も多く見られます。
こちらにも「この先カーブ」の路面表示がありました。
振り返ってみます。
現代的な交錯する橋と、草に埋もれつつあるコンクリート舗装の廃道とのコントラスト。
これが人口230万人を擁し、三大都市圏のひとつに数えられる名古屋市内に残された「廃道」の光景です。
途中から路盤はアスファルトとなり、いよいよ堤防上に復帰します。
こちら側も、現道との合流部は仮設ガードレールとなっており、何かあればすぐに移動して河川敷に車両が侵入できるようになっています。
工事看板が置き去りにされていました。
下流側から上流方向へ向けて。
写真右側が堤防外に新設されたアンダーパス、直進方向が県道102号北行き車線への合流路、左側がこれまで辿ってきた旧アンダーパスです。
閉鎖された旧アンダーパスの分岐部分を遠景で。
新アンダーパス。
堤防内側の法面には「3.8」と記されたコンクリート杭がありましたが、「建設省」の表示がまだ残っていました。地理院地図で調べると、この辺りの標高は12m前後なので、水準点ではないようです。
地図で計測してみたところ、庄内川と矢田川の分岐点から三階橋までがおよそ3.8kmほどなので、これは矢田川河口からの距離を示す基準点ではないかと思われます。
周囲は三階橋架け替えに伴う周辺一体の工事に伴い新たにコンクリートで養生したようですが、この杭はそれ以前からここにあり、それを残すように施工されたのでしょう。
最後に新三階橋上の眺めを。
上飯田側からの連絡路の状況がよくわかります。
三階橋の工事は2007(平成19)年に着工し、2017(平成29)年3月25日に開通しています。着工から実に10年の年月を要した大工事でした。
そして周辺工事も含めると、まだ一部工事中の部分もあります。
こうした一大プロジェクトの中で、ひっそりと役目を終えた都市廃道。
いつまでこのまま残存するのか、工事用通路としてそのまま残されるのかも分かりませんが、ほぼ役割を終え、草生したアスファルトには、一抹の寂しさを覚えます。
(了)