青い森鉄道 北高岩駅と駅便所

青い森鉄道 北高岩駅と駅便所

青い森鉄道は、1990(平成2)年12月24日の「整備新幹線着工等についての政府・与党申合せ」により、
「建設着工する区間の並行在来線は、開業時にJRの経営から分離することを認可前に確認すること」
が合意された事に伴い、JR東日本 東北新幹線の整備新幹線区間として2002(平成14)年12月4日に盛岡-八戸間が開業した際に、JR東日本 東北本線の青森県区間である、目時-八戸間の経営を移管する形で設立された第三セクター鉄道です。
その後、2010(平成22)年東北新幹線の八戸-新青森間開業に伴いJR東北本線八戸-青森間の営業も継承し、現在に至っています。
なお、東北新幹線の盛岡-八戸間の開通に伴い、JR東日本 東北本線の岩手県区間である盛岡-目時間も、青い森鉄道同様第三セクター「IGRいわて銀河鉄道」として経営移管されており、両者は盛岡-八戸間で相互直通運転を実施しています。

さて今回ご紹介する北高岩駅は、八戸駅の盛岡側隣駅にあたります。
開業は東北本線の開通と同時の1923(大正12)年8月10日 です。

非常に味わい深い最首うの駅舎です。財産標を探してみたのですが見つけることが出来ず、帰宅後に色々調べてみましたが、現駅舎の建造時期は不明でした。

「北高岩駅」の看板は、さほど古さを感じさせません。

下記者内部です。入り口からホーム方向。
右手には、かつての券売所と思われるスペースがあります。北高岩駅は1980(昭和50)年5月に無人化されているので、かなり長い間使われていないことになります。

左手には駅でよく見かける樹脂製のベンチ。冬場は冷えるためか、恐らく地元の方の手によるものと思われる座布団が用意されているのがうれしいですね。

逆を向いてホーム側から入り口側を。

ベンチはホーム面を除く三方向に設けられており、ゴミ箱も設置されているのがわかります。

ホームへ出て裏側から駅舎を眺めてみます。方杖付きの木製柱に支えられた軒は、屋根の落雪を緩衝する役割もありそうです。

ただし、プラットホームには屋根は設けられておらず、野ざらしの状態になっています。

駅名標は、青い森鉄道標準のものが掲示されています。

駅構内を撮影中、たまたま列車がやったきました。こちらは盛岡から直通してきたIGRいわて銀河鉄道の車両です。

プラットフォームは二面三線ですが、中線は現在使用されていないようで、線路には錆が目立ち、草も生えていました。ホーム間の移動は跨線橋によります。こちらの跨線橋も、部材等を見るとさほど古くはないようです。

なお、この北高岩駅の特徴として、上の写真の奥のほうにも跨線橋が見えていますが、今回ご紹介した木造駅舎以外にも、裏口的な出入口が存在します。

今でこそ2両編成の普通列車が停車するのみの駅ですが、素性は上野と青森を結ぶ東北の大動脈、東北本線なだけあって、ホームは非常に長く造られています。跨線橋を渡り盛岡方面行のホームの一番端には、反対側からの出入りに便宜を図るため、改札のない無人の出入口が別途設けられているのです。

不覚にも時間配分を誤り、あまり高岩駅の撮影に時間を割くことができなかったのですが、いずれ再訪してそちらの状況も追記できれば思います。

盛岡方面ホームの駅名標。背後の高架橋は東北新幹線です。ちょうど八戸駅手前で新幹線と東北本線が交差する地点が北高岩駅にあたります。

さて、本題の駅便所です。位置関係はこのような感じです。駅正面向かって左側に小さな小屋が設けられています。

非常に小ぢんまりとした造りで、最初は窓がアルミサッシになっているものの、駅舎の古さを考えるとある程度の歴史を持つ駅便所かと思っていました。

ところが入り口に掲示された建物財産標によると、平成2年1月と記されています。思いのほか新しい物件だったようです。

とはいえ便所は水洗ではなく汲み取り式で、便槽からは臭突が斜めに突き出しています。

それでは中を拝見。さすがに1990(平成2)年製ということもあり、比較的清潔な印象です。手洗所の写真は撮り忘れてしまいましたが、上の写真右手に見切れているとおり、現代的なものです。

小便器です。朝顔型と床置型の中間のようなデザインです。
あまり見たことのない形状ですが、強いて分類するのであれば朝顔型の縦長形ということになるでしょうか。
周囲は手摺に囲まれており、バリアフリー対策は万全です。

つづいて大便器です。こちらも手すりが設けられておりバリアフリー化されています。

水洗式ではないため臭いの漏れを防ぐため、便器には蓋が設置されていました。細やかな心遣いが感じられます。

青い森鉄道からのメッセージ。実際建築年度が新しい事を抜きにしても、かなり清潔に保たれているのが非常に印象深い駅便所でした。

場所はこちら。