JR東日本東北本線 品井沼駅と駅便所

JR東北本線、松島駅より北へ三駅ほど進んだ丘陵地にある品井沼駅。
駅名となった品井沼はかつて江戸時代までは広大な沼が存在していましたが、増水期には頻繁に周辺地域に水害をもたらしていたことから、1656(明暦2)年から仙台藩家老茂庭氏によって干拓事業が進められました。

干拓事業の終了が宣言されたのは実に1977(昭和52)年。三百年近くの長きにわたり事業が継続され、その間には品井沼の水を直接松島湾へ排水するために、元禄年間に造られた元禄潜穴、明治期に造られた明治潜穴をはじめとした大規模な土木工事が行われ、それら一連の土木遺構は2007(平成19)年に土木学会選奨土木遺産に認定されました。

品井沼一体のこれらの遺構については、それだけで一項を設けるほどの規模のものなので、ここでは品井沼の説明はこのくらいにして、その最寄り駅である品井沼駅と駅便所についてご紹介したいと思います。

東北本線はかつて岩切から利府を経由して品井沼へ至る、現在の宮城県道8号のルートをとっていましたが、太平洋戦争激化に伴う貨物輸送の海上輸送から陸上輸送への切り替えに伴い輸送力増強のため、急勾配のあった在来線ルート(山線)に加え、岩切ー塩竈を結んでいた塩竈線を延長し、品井沼で在来線と合流するルート(海線)が1944(昭和19)年に開通しました。

その後、勾配の緩い海線ルートが複線化されるとともに急勾配で単線の山線の存在意義が薄れたため、山線は岩切ー利府間を残し、1962(昭和37)年に松島ー品井沼、利府ー品井沼間が順次廃線となってしまいます。これが現在通称「利府線」と呼ばれる東北本線支線のルーツです。

かつてはそんな山線、海線という二つのルートの合流駅であった品井沼駅は、1918(大正7)年に幡谷信号所として設置され、1932(昭和7)年に品井沼駅として駅に昇格、前述の通り1944(昭和19)年の海線が開業、さらに1962(昭和37)年の山線廃止を経て、現在の形態になっています。

いかにも幹線の小駅といった佇まいの品井沼駅舎。
財産票が見当たらなかったのですが、調べたところ建造年は1932(昭和7)年で、駅昇格時に建造された、かなり年季の入った木造駅舎です。

駅名板はJRになってから設置されたもので、古めかしい木造駅舎とは若干不釣合いな感じです。

駅入口脇には、品井沼駅の駅名由来が記されています。

また、その更に右手には、かつての水飲み場と思われる円形の造作物が見られました。

更にその右手にある植え込みには、達筆で不勉強ながら正確には読み取れないのですが、「利開道通」(恐らく右書き)と題された石碑が建てられており、碑文冒頭に「千葉繁翁開駅盡力記念碑」と記されていることから、品井沼駅開駅を記念する石碑のようです。
なお、建造は碑文の文末より1957(昭和32)年2月とのこと。

駅舎内に入ります。ベンチは比較的新しいものに更新されており、またSuicaの仙台地区利用エリア内のため、改札口脇には入場用のSiuca端末が設置されています。

ベンチ側から改札側を見ます。自動販売機は設置されていませんが、簡易委託駅となっており、6時30分から19時30分の間は係員が配置されているようです。

 

改札からホームへ。客車時代のホームから嵩上げされたため改札とホーム床面の間にはわずかな段差がありますが、バリアフリー化に伴い、それを解消するためのスロープが新設されています。

駅の構造は二面三線。ただし、中線は現在利用されておらず、2、3番ホームの2番線側は柵で仕切られています。

跨線柱は鉄筋と木造の併用で、線路を跨ぐ部分の脚はPC桁になっています。

PC桁には、

仙台鉄道管理局
構造 P.C桁長11.30M
橋脚基礎杭 3.6M 24本
施工者会社名 株式会社小川原組
着手年月 昭和37年2月
竣工年月 昭和37年4月

と記された銘板が設置されています。

跨線部は上述のようにPC桁ですが、階段部分の橋脚には、古レールが用いられています。

階段部分はオーソドックスな造りです。

通路の腰板は木造ですが、窓はアルミサッシとなっています。

跨線橋から線路を見下ろして見ます。中線(2番線)の線路は光沢を失っており、利用されていないことが分ります。

3番線ホームの待合室です。入り口こそアルミサッシですが、小柄な木造の愛らしい佇まいです。

跨線橋からの眺め。屋根はオーソドックスなトタン屋根であることが分ります。

たまたま列車が来たので待合室と組み合わせて撮影しました。古めかしい待合室と新型のE721系が好対照を成していますね。

今は使用されていない2番線側には、恐らく国鉄時代からそのままと思われる駅名標が掲示されています。

一方1番線はJR東日本の標準型の新しいデザインです。

一番線にも小牛田行きのE721系がやってきたので撮影しました。こうしてみると、カーブに設置されているだけかって車体がかなり傾いていることが分ります。

そして長い前置きを経て、いよいよ本題の駅便所です。

駅便所は駅舎の北側、正面向かって左手に立っています。建物財産票が見当たらなかったので残念ながら建造年は不明ですが、駅舎と統一されたデザインであることから、駅舎と共に1937(昭和7)年に建造されたものとみてよいのではないでしょうか。

入口には、シンクにコンクリート枡を用いた手洗い用の蛇口が設置されています。

内部を拝見。
この駅便所は、駅ホーム内からと、駅舎外、双方から利用できるようになっていますが、建物の中央部分で壁で仕切られており、当然のことながら改札を経由せずに行き来することはできません。

まずは小便器から。
いわゆる朝顔型よりもやや下に伸びたもので、お子様でもご利用いただける安心設計です。

つづいて大便器。
便器は和式で、水洗式ではなく落下式便所となっています。
トイレットペーパー…というかペーパーホルダーそのものが見当たらないので、使用に当たっては注意が必要です。

裏手に回ります。
臭突は一本のみ設けられており、内便所、外便所で共用となっているようです。

続いて外側からアプローチしてみましょう。

構内の入口にも掲示されていましたが、「便所 LAVATORY」の看板は、古くからの琺瑯製ではなく、丸ゴシック体の比較的新しいものです。

外側の手洗い場もホーム内のそれと基本的な構造は同一ですが、シンクのコンクリート枡は真新しいものが設置されていました。

内部拝見。ホーム側とは左右対称なので、特に差異は見られません。

改めて駅舎外から裏手を見ます。
当然のことながら、便槽の汲み取り口は駅舎外に設けられています。

駅舎、駅便所共に非常に好ましい佇まいの品井沼駅ですが、JR東日本仙台支社の2019(平成31)年4月25日付ニュースリリースによると、東北本線南福島駅、磐越東線菅谷駅と共に2019(令和元)年度の建て替えが予定されています。

今回のレポートは2017(平成29)年5月の訪問を元に記していますので、既に現状が大きく変わってしまっている可能性もあります。

耐震強度や安全面で、昭和ヒトケタの駅舎を存続されるのが困難であることは十分に理解はしているものの、この素朴な佇まいが失われてしまうことに、一抹の寂しさを感じずにはいられません。