名古屋市街の北部、名古屋鉄道瀬戸線清水駅から北東へ300除夜の鐘mほどの場所に、曹洞宗 天長山 久国寺という寺院があります。
創建は慶長年間(1596-1615)といわれ、現在の地には1662(寛文3年)に移設され、名古屋城の鬼門除けとされました。天長山という山号は、名古屋城本丸天長峰の名を借りたとされています。
そんな由緒のある久国寺ですが、表通りに掲げられた看板には、何やら怪しいイラストが添えられています。
看板のある表通りとは反対にあたる住宅街に面した南側に門があります。
門の両脇には、「天長山 久國寺」、禅宗の寺らしく「山門禁葷酒」と刻まれた石碑が立っています。
変額には「天長山」の文字。
境内です。正面には大きな本堂。
子年の守護本尊とされる観音菩薩が安置されています。
まずは境内左手(西側)に白い観音像が見えます。
台座には「護国観音」と記されています。
こちらの観音像は、桃太郎神社や五色園のコンクリート像を建造した、浅野祥雲の手によるもので、太平洋戦争の戦没者慰霊のために建立されたそうです。
観音像と反対側(東側)には鐘楼があります。背後には大きな五輪塔も。
鐘楼に近づくと、当然のことながら梵鐘が吊るされているのですが、どうにも独創的な形状です。
回り込んで反対側から。
実はこの梵鐘、1965(昭和40)年に岡本太郎によって製作された「歓喜の鐘」と名付けられた梵鐘なのです。
当時の住職が岡本太郎に依頼して製作されたもので、試作品である小型の鐘が五体あり、うち一体が東京都港区南青山にある岡本太郎記念館に、もう一体が親交のあった石原慎太郎の元にあるそうです。
岡本太郎作であることを示す「TARO」の署名が。
反対側には漢字で「岡本太郎」の署名もあります。
五年後にお目見えする万国博覧会の「太陽の塔」の腕にも通ずる角が印象的です。
この独特な形状について、岡本太郎は「鐘の音は、宇宙に向かってひろがって行く。ならば形もそうであってよい」とし、「一個の鐘に万物を濃縮するのである。それは仏教の広大な宇宙観である『マンダラ』の思想に通じる」、「打ち鳴らすと宇宙全体が叫ぶ。よろこび、悲しみ、苦痛、うめき声、それらが言いようのない振幅で響きわたる」と語っています。
側面には、またに曼荼羅のごとく森羅万象のレリーフが刻まれています。そして角は人間の腕になっています。
一般的な梵鐘に比べ、取り付け位置がかなり低いのが特徴的です。
この梵鐘の高さや角の向きや大きさは計算されており、一般の梵鐘より低音で独特の響きを発するのです。
この貴重な鐘は通常はもちろん撞く事はできません。
しかし、年に一度大晦日だけ除夜の鐘として先着順で百八名が撞く事ができるのです。
という訳で2019(令和元)年12月31日、「歓喜の鐘」を撞くべく、紅白歌合戦の視聴もそこそこに、久国寺を訪問しました。
毎年多数の行列ができるとのことで少し早めにお寺に撞きましたが、早く着き過ぎたため、境内にはまだ人も疎らだったので、まずは写真など撮影しながら時間を待ちます。
整理券の配布は23時15分から、除夜の鐘は23時45分から撞き始めるとのこと。
そうこうしているうちに、次第に境内に人が集まりはじめ、23時前にはかなりの列ができていました。
予定通り23時を過ぎると整理券の配布が開始され、私も無事に整理券を手に入れることができました。番号は九番。いささか忌み番ではありますが、煩悩と共に苦も祓う、と思うことにしました(苦笑)
裏面には「昭和40年 岡本太郎制作 『歓喜の鐘』」と、表通りにあった看板に添えられたのと同じイラストが記されています。
整理券の配布から鐘撞きが始まるまでは間があるので、参拝者は焚き火で暖をとって待機します。
時間になると、まずは住職が鐘楼に上り、鐘に経を捧げます。
まずは住職が鐘を撞き、続いて整理券の順番に参拝者が鐘楼に上り、続いて一人ずつ順番に鐘を撞きます。
私は初めてだったので撞木をどの程度引けばよいのか加減が分からず、やや小さな音になってしまったのが心残りではありますが、この貴重な鐘を撞く事ができ、一年の煩悩と苦を祓いました。
最後に実際の鐘の音をご覧ください。
それでは皆様、本年もよろしくお願いいたします。
(了)