静岡県富士市のJR東海 東海道本線吉原駅から、東海道五十三次十四番目の宿場町、吉原の中心近くを経由して、ぐるりと方向転換し岳南江尾駅の間、9.2kmを結ぶ岳南電車。
富士市は製紙産業が盛んで、かつて岳南鉄道(当時)も紙類をはじめとする貨物輸送が主力の鉄道でしたが、貨物輸送のトラック輸送へのシフトにより年々取り扱い量が減少し、ついに2012(平成24)年3月16日限りで岳南鉄道の経営を支えていた貨物列車の運行は終了し、貨物の取り扱いが廃止されました。
営業収入の大半を貨物収入に頼っていたため、鉄道事業の存続が危ぶまれましたが、2013(平成25)年4月に鉄道事業を岳南鉄道株式会社から分離して岳南電車株式会社とし、富士市からの公的支援等も受けつつ、鉄道存続に向けて再スタートを切りました。
岳南電車では従来の旅客だけでなく新たな旅客を誘致するために積極的な観光ツアーの開拓に取り組み、流行の兆しが見えたインフラツーリズムを取り入れ、沿線に点在する製紙工場の夜景を楽しむ「夜景列車」の運行を開始し、これがのちに2014(平成26)年には「日本夜景遺産」にも登録されたことから脚光を浴びました。
また、車体がオレンジであることから正面にジャック・オー・ランタンをイメージした装飾を施した「ハロウィン電車」や「ジャズトレイン」「ビール電車」の運行、更には富士山が世界遺産に登録されたことから、日本で唯一路線の全ての駅から富士山が見える電車として売り出すなどの経営努力を行い、これらの取り組みが奏功し、年度別輸送実績も東日本大震災の影響を受けた2011(平成23)年度を底に徐々に回復しつつありました。
ところが2020(令和2)年、新型ウイルスCOVID-19が世界的に流行し、わが国でも4月7日に東京、神奈川、埼玉、千葉、大阪、兵庫、福岡の7都府県に緊急事態宣言を行い、4月16日には対象を全国に拡大し、生活の維持に必要な場合を除く外出の自粛や学校の休校、百貨店や娯楽施設など人が多く集まる施設の使用制限、飲食店の営業自粛要請などが行われ、外出の自粛や学校の休校、会社のリモートワーク導入などにより鉄道各社も大幅に旅客が減少し、感染拡大を防ぐため観光ツアーなどもほぼ全てが中止されるなど大きな影響を受けました。
緊急事態宣言は5月14日に北海道・東京・埼玉・千葉・神奈川・大阪・京都・兵庫の8つの都道府県を除く39県、5月21日には大阪・京都・兵庫の3府県、そして5月25日には首都圏1都3県と順次解除され、密閉・密集・密接の3つの密を避ける「新しい生活様式」が提唱されました。
しかしながら、緊急事態宣言が解除されたとはいえ、学校の休校は一部継続され、更に不要不急の外出は控える動きが一般化したことから、鉄道各社の旅客数はなかなか回復せず、グッズ販売の強化など鉄道事業外での収入を少しでも獲得しようという動きが進み、岳南電車でもSNSによる積極的な情報発信やオンラインショップの開設など、新たな取り組みを進めています。
その一環として、従来とは全く異なるツアーを催行して新規旅客獲得に繋げようということで、新企画「旧貨物線跡&古レール探訪ミニツアー」が8月22日に開催されることになりました。
新企画!旧貨物線跡&古レール探訪ミニツアー8/22開催
(岳南電車ウェブサイト)より
https://www.gakutetsu.jp/topics/kamotsuminitour.html
SNSや岳南電車ウェブサイトで告知がなされましたが、定員10名のツアーは受付開始即満員御礼という非常に大きな反響がありました。
私は幸いにも参加申し込みをすることができたため、2020(令和2)年8月22日、ツアーに参加すべく岳南電車を訪問しました。という訳で、前置きが長くなってしまいましたが、ツアーの様子をご紹介したいと思います。
夏の暑い時期の開催ということで少しでも涼しい時間帯に…ということで集合は吉原駅午前9時30分に設定されていたため、私は深夜に名古屋の自宅を出発し、ひたすら国道1号を東へ進み、岳南電車比奈駅に8時過ぎに到着しました。
比奈駅には駐車場が併設されており、「タイムズのB」で事前予約が可能、しかも一日300円と非常に安いので、もし車で岳南電車を訪問される場合は、ぜひこちらを利用すると良いと思います。
という訳で、比奈駅8時36分発の吉原駅行きに乗車し、8時48分、定刻通り吉原駅に到着。
受付開始までまだ時間があり、係の方がテーブルを出すなど準備をされている最中だったので、しばし吉原駅内のグッズコーナーなどを見物したり待合室で小休止。
2020(令和2)年4月に導入された最新鋭の自動券売機。岳南電車は有人駅の吉原駅、時間帯有人駅の吉原本町駅、岳南原田駅、岳南富士岡駅の全てが原則として乗車券は窓口による硬券販売という今では貴重なスタイルだったのですが、この自動券売機は現金はもちろんのこと、クレジットカード、QRコード決済、交通系ICカード決済にも対応し、しかも表示パネルは日英中タイの四か国語対応という最新鋭のものです。
しかし交通系ICカードで切符を買うことはできますが、ICカードリーダーを車内や各駅に設置しているわけではないので、交通系ICカードそのもので列車に乗ることはできません。
そんなちぐはぐさもまた、岳南電車の魅力の一つといえるでしょう。
そうこうしているうちに用意が整い受付開始。
まずは手指消毒と体温の測定、問診票への記入が行われ、感染症対策は万全に行われています。
続いて参加費2,500円を支払い、当日有効の一日乗車券と、配布資料、冷たいミネラルウォーターを受け取ります。
そして9時30分、岳南電車の社長さんと、本日のツアーを担当される沿線住民ガイドの方、岳南電車ベテラン運転士さんの挨拶により、いよいよツアーがスタートです。
まずは吉原駅の説明から。
吉原駅のホーム上屋は、鋼管製の柱にアーチ状の屋根を載せた岳南電車独特の形状なのですが、駅本屋の柱には古レールが用いられています。
こちらは「CAMMELL SHEFFIELD TOUGHENED STEEL W.1888.SEC」の銘が遺された、英国チャーリーズ・キャンメル社1888(明治21)年製のレールです。
1888の刻印から100年物のレールであることがわかります。
続いて専用線の説明です。
吉原駅西方は、本線はもっとも北側の路線なのですが、JR線との間に、かつてJRとの間で貨物の受け渡しを行っていた側線がそのまま残されています。
私も貨物輸送が現役の頃には、ここにED40に牽引された貨物列車が停車しているのを何度も見かけたことがあります。
また、吉原駅2番ホームの北側には今は本線から遮断された専用線の跡がそのまま残されています。迂闊にも写真を撮り忘れてしまったのですが、この線の北側には矢部庄七商店という化学薬品を取り扱う会社があり、製紙業などでも使用する苛性ソーダを始めとする化学薬品を、この専用線からタンク車に積み込んでいたそうです。
なおこの後も、暑さにやられて撮っておくべき場所の写真を撮り忘れているという失態を何か所も犯していますが、ご寛恕いただければと思います(苦笑)
いよいよ列車に乗り込み、まずは隣の吉原本町駅へと向かいます。
現在は跨線橋で結ばれている東海道本線と岳南電車ですが、開業当初は構内踏切で連絡しており、その名残が東海道本線ホーム西端のスロープに残っていること、左富士信号所跡、旧日産への引き込み線跡などについて説明がありました。
吉原本町駅は当ブログでも2015(平成27)年4月12日に取り上げていますが、ホーム上屋の支柱に古レールが用いられています。
岳南電車 吉原本町駅 – HETIMA DIARY
http://www.hetima.net/blog/archives/9897
ここではレール銘の拓本採取体験が行われました。私もトライしましたが、結果がイマイチだったので、他の参加者の方の成果を載せさせていただきます。
紙を貼り付けて鉛筆でこする様になぞってゆくと…
「UNION 1902. I.」の銘が見事に浮かび上がってきました。
ドイツ、ウニオン社の1902(明治35)年製のレールです。「I.」の上には更に「R.J.」と記されているものと思います。
参加者各々拓本体験を行った後、吉原本町駅改札を出て、徒歩で本吉原駅方面へと向かいます。途中には、レールサイズが変わる地点に設けられる中継レールがありました。この後も各所で中継レールを見ることができます。
岳南鉄道の本社事務所の前を通り、本吉原駅前を通過して更に東へ進むと、レール柵が並んでいるエリアがあります。岳南電車では沿線の各所でレール転用の柵が使用されていますが、ここの柵は銘のあるレールが多く用いられているとのこと。
通過する電車を見送ります。
吉原本町駅では銘の拓本をとりましたが、こちらでは断面の拓本を取りました。レール断面にスタンプ台のインクを満遍なく塗ってスケッチブックを押さえると…
立派な拓本が取れました。
しばらく各自で拓本撮りやレール銘探索を楽しみます。
「CARNEGIE . 96 . III S.T.K.」
米国カーネギー社 1896(明治29)年製。
「30 A (丸Sマーク) 1958 I OH」
新日鉄1958(昭和33)年製。
「(丸Sマーク?) 60 B 1906」
官営八幡製鉄所1906(明治39)年製と思われる。
しばしレール柵を堪能しましたが、日差しが強くかなり暑く参ってきたので、本吉原駅で涼みましょう、ということで本吉原駅へ戻ります。
しかし、この昔ながらの味わい深い駅銘板にも、駅ナンバーが記載されるのは時代ですねえ…。GD04。
しばし休憩の後、岳南江尾行に乗車して次の目的地、岳南富士岡へと向かいます。
今回のツアーで古レールと共にテーマとなっている旧貨物線跡ですが、日中列車が運行している中で貨物線跡を実際に歩くのは困難なため、車内からのガイドがメインとなります。
こちらは岳南原田駅。
写真では分かりづらいですが、左手が本線、右手の分岐する二本の線は旧貨物線跡で、岳南原田駅の構内踏切部分で線路がぶっつりと途絶えています。かつての専用線跡は、現在は駐車場と葬儀ホールへと姿を変えています。
岳南原田、比奈と進んで行くと、比奈から岳南富士岡の間には、大規模な貨物線跡が残存しています。
ガイドの方によると、貨物線の架線柱頂点部分には電灯が設置されており、夜間はこの照明が貨物線を照らしていたとの事。
そして一行は岳南富士岡駅に到着します。
岳南富士岡駅には側線が残されており、そこにはかつて貨物営業を支えていた電気機関車ED29 1、ED40 2、ED40 3、ED501、そして他の2両より先に現役を退いた単行電車の7002号、更に貨車のワム80000形2両が留置されています。
貨物現役時代は主に比奈駅での入れ替えに活躍していたED501の留置されている先頭部のレールにも、古い銘が残っているのでした。
岳南富士岡駅は何度も訪問していますが、電気機関車にばかり気を取られており、こんなところに銘が潜んでいるとは思いもよりませんでした。ガイドの方によると、2019(平成31)年3月に岳南富士岡駅で岳南電車まつりを開催した折、レール愛好家の方から指摘されて初めて気が付いたそうです。
逆光で写真が撮りづらかったのですが、調整してなんとか見えるように。
「CAMMELL SHEFFIELD TOUGHENED STEEL 1887 P IRU」
英国チャーリーズ・キャンメル社1887(明治20)年製。
今日見てきたレールの中では最も古いレールです。
その後は構内の車両を見学。
ワムの足ブレーキ体験も行われました。私は時間の都合で体験できませんでしたが、一度やってみたかったですね。
往時はこうやって係員さんが突放された貨車を操作していたのかと思うと感慨深いです。
また、ED501の連結器解放梃子を動かす体験も行われたので、こちらはED501好きの私は真っ先に名乗りを上げて体験しました。
写真は他の方が操作されている時のものです。
次の列車までの間は、各々休憩したり車両を撮影したりと思い思いに過ごしました。
引退した7002号。代わりに富士急行から元京王5000形の9000形がやってきました。
元松本電鉄のED40兄弟。1965(昭和40)年に奈川渡、水殿、稲核ダムの梓川三兄弟ダムの建設資材運搬用に製造され、ダム建設に活躍したのち、岳南鉄道に移り貨物輸送の要として貨物廃止まで活躍しました。
上田温泉電軌デロ300形として誕生し、名古屋鉄道を経由して岳南鉄道へ譲渡されたED501。1928(昭和3)年、川崎造船所製の凸型機です。前面の凸部内部には抵抗が設置されており、夜になると熱でほんのり赤く焼けているのが見えるほどだったそうです。
ED29 1。豊川鉄道デキ52形として1927(昭和2)年に日本車両で製造された、岳南電車に現存する電気機関車の中では最古参の電気機関車です。1959(昭和34)年に岳南鉄道にやってきた古株でもあります。
岳南富士岡駅の構内踏切脇にも、中継レールが確認できました。
そして岳南江尾行列車の到着時間が迫り、一行はいよいよツアー最後の目的地、岳南江尾駅へい向かいます。
途中、須津駅の岳南江尾寄りにも、旧貨物線の分岐跡が残存していました。
岳南江尾駅に到着しました。岳南電車では日中に1編成が岳南江尾に留置されているのですが、今日は8000形と7001号が運用に就いており、私は今回が9000形が導入されてから初の岳南電車訪問でしたが、乗ることができずちょっと残念でした。
岳南江尾駅の引き上げ線に残る銘。逆光でファインダーを見ても文字がよく判読できず、後半部分が切れてしまっているのですが、
「(丸Sマーク) NO 60 A 1908 VII」
と記されています。官営八幡製鉄所1908(明治41)年製。
そして最後に、ようやく歩ける貨物線跡、岳南江尾駅から新幹線の高架をくぐり、三島化工株式会社への引込線をたどります。
本線に並行して、片側だけレールが残存しています。
新幹線と交差する直前で、引込線は方向を北へと転換します。枕木が残存している他、本線との間には不要となったレールが残置されています。
写真では分かりませんが、草むらの部分にはレールが両方とも残存しているのですが、長年放置されていた影響からか軌間が狭くなったり広くなったりと一定に保たれていませんでした。
レールは工場へ入る直前、道路の手前で寸断されています。
残存されたレールを前に、貨物線談議に花が咲きます。
そしていよいよツアーは終了です。岳南江尾駅へ向けて引き返します。
ツアーの最後には岳南電車からの素敵なプレゼント。
貨物運行が行われていた当時、2009(平成21)年3月14日改正のダイヤグラムの複製、貨物輸送時に使用されていた貨物通知書を封入していた封筒、使用済み犬釘、岳南グッズとして新発売されたボールペンの豪華セット!
かなりの暑さで汗だくになったものの、非常に楽しいイベントでした。
今回は新企画を模索する中でトライアルとして実施されたという事で、我々参加者にもモニタとしてのアンケートが実施されました。
今後同様のツアーが実施されるかは不明ですが、ちょっと違った視点から岳南電車を楽しむには非常に有意義なツアーだったと思います。
冒頭にも記した通り、現在地方鉄道は新型ウイルス感染症の影響で、かなり苦戦を強いられているのが実情です。
岳南電車ではオンラインショップでグッズを販売していますので、もし「よし、応援してやろう」というお気持ちがありましたら、是非下記サイトよりご支援頂ければと思います。
GAKUTETSU STORE
https://gakutetsu.stores.jp/
また、こうしたイベント等の最新情報は、公式ウェブサイトの他、Twitterなどでも告知されていますので、ツアーが気になった方はフォローされるとよいと思います。
https://twitter.com/GakunanEtrain
(終)