東濃鉄道駄知線の廃線遺構探索

ようやく4月になりました。
冬は寒いし雪もあり、とても探索をやっていられないので、待ちにまった季節の到来です。といっても風が冷たくて冬に逆戻りした感じでしたが…。

朝から車のオイル交換をしたので、そのまま家に帰ってゴロゴロするのも勿体無い…ということで、先月あたりから行こう行こうと思っていた東濃鉄道駄知線の廃線跡を探索しました。

東濃鉄道駄知線は、中央本線土岐市駅から駄知町の東駄知駅までの10.4kmを結んでいた電気鉄道で、土岐市-土岐口間の土岐川橋梁が昭和47年に水害で流失したことを契機として、二年の休止期間を経て廃止になりました。

廃線跡の大半はサイクリングロードとして整備されているので、当時の線形はある程度トレースすることができます。
しかし、整備されているということは裏を返せば当時の面影は失われているということにもなる訳で、残存する遺構というのはごく限られています。

今回はサイクリングロード部分はパスして、かつての遺構が残る三箇所、山神駅跡と近傍の橋台遺構、そして日帰隧道をさらりと見学してきました。

まず旧山神駅跡。

市道の路肩がそのままホームになったようなつくり。
ホームには桜が植えられていますが、これは位置的には現役当時からのものではなさそうな感じ。

ホーム側壁には嵩上げの跡が見られます。

路線全体でこの山神駅周辺が最も標高が高く、土岐方から山神駅までは、市道と印刷会社の工場に挟まれた路盤は上り勾配の掘割になっています。
山神駅跡から土岐方向を臨むとこんな感じ。

非常によく路盤の状況がわかりますね。
本来であればちゃんと歩いて何か遺構がないか探したいところですが、今日はつまみ食いなので写真だけ撮っておしまいです。

次は山神駅東側の橋台。

築堤の、幅員3~4mほどの市道を跨ぐ地点。立派な石積みです。
築堤の上から見るとこんな感じ。

反対側から。

橋台の両端に古タイヤを置くというのは親会社の名鉄でもよく見る光景。
駒止め的に転落防止の注意喚起をする意味合いがあると聞いたことがありますが、実際どうなんでしょう。

最後に場所を移動して日帰隧道へ。

地図や航空写真を見ていると、県道から山の中へ路盤が伸びていて辿れそうにも見えるのですが、どうも現地は藪化が進んでいるということなので、今回は隧道上部を通る県道からショートカットで坑口へアプローチすることにしました。

30mほどの高低差を下ってゆくと、堀割状の平場が見えてきます。路盤に到達するといきなり現れるこの素敵な光景。

こちら側だけ見ていると、路盤の状態もよさそうに見えますが、反対側を振り返ると次第に藪がひどくなっていて、20mくらいは探索してみましたがひどくなる一方なのでやめました。
写真もファインダー覗いたらただの藪にしか見えなかったので撮っていません。まだ草木が芽吹く前でこれだから、夏場は厳しいだろうなあ。

そして坑口をもう少し寄ったアングルで。

ポータルは煉瓦積みですよ。とても良い状態で残存しています。

アーチの傍らにはリレーボックスが。元からここにあったものかは不明です。腐食した扉が外れてしまいそうだったので扉は開けませんでしたが、隙間から覗くと塩カルの袋のようなものが入っていました。

碍子。

ところがここまで辿り着いた段階で、ライトを持ってくるのを忘れたことに気がつくという失態。
仕方がないので徐々に目を慣らしつつ可能な限り奥まで入ってみましたが、照明なしでは限度があって途中で視界ゼロになってしまったので閉塞点に到達する前に引き返しました。
まあまた行けばいいや(←死亡フラグ)

内部から坑口方向。

閉塞しているとは言っても残存区間はかなり長く、歩いただけでも100mくらいはありました。もうちょっと行ったら閉塞点だったかもしれませんねえ。

隧道内には架線を吊るしていたと思われる碍子とフックも残っています。

ポータルは煉瓦組みですが、洞内は基本的にコンクリ巻立です。
ただし継ぎはぎのようで、煉瓦が顔を出している場所もちらほら。

漏水は気になるほどではありませんが、外気温・湿度と洞内気温・湿度に大きな差があるからなのか、洞内の上1/3くらいは水蒸気が満たされている感じで、坑口の上部から水蒸気が湯気のように流れ出てくるのを確認できました。まるで高熱隧道のような。

二枚上の写真の坑口あたりも上1/3くらいもやっとした感じに写っているのが分かりますでしょうか…。

今日のところはこんな感じで。近々もう少し細かく調査してみたいですね。