JR横須賀線が北鎌倉駅へ到着する直前、車窓に見える深紅の坑門が特長的な隧道が「好好洞」です。
唐風とでも形容すればよいのか、独特のデザインの隧道ですが、これはもともと洞門山と呼ばれるこの山の尾根の向こう側にあった会席料亭「好々亭」の店主が駅から料亭への近道として開削したものだそうです。
「洞好好」「好々亭門」「御会席 成吉思汗料理」の文字が。好々亭は2007年に廃業し、現在この隧道は地域の生活道路として活用されています。
坑門左手の岩壁にも、「好々亭門」の刻字が見られます。
内壁は鑿跡が文様のように広がっています。照明は裸電球。
坑口を振り返って。ちょうど横須賀線が北鎌倉駅へ向けて減速しながら走ってきたところ。
もう少し引いたアングルから見ると、唐風に装飾された坑口よりも内部は広く掘り広げられていることがわかります。
中間あたりの両サイドに分岐がみられます。いずれもコンクリートブロックで閉塞処理済。
左手の高さのある分岐は第二次世界大戦中に、軍がこの隧道のある山腹に設けた銃眼へ通じていたそうです。
銃眼は山腹から北鎌倉駅のホームへ向けて開口しており、鎌倉方面から上陸した敵軍を攻撃できるようになっていたそうです。
こちらは右手の分岐。
続いて左手の分岐。こちらが銃眼へ通じていたもの。
洞内は緩い上り勾配になっています。出口付近から振り返って。
それにしてもこの隧道、料亭への通路であり、横須賀線側は唐風の装飾でいやがうえにも気分が高まるのですが、お食事を終えた帰り道はこんな感じで隧道は口を開けて待っています。
怖いって。
まあ、営業当時はもっとちゃんと草刈りとかしていたかもしれませんが、なにかこう華やかな世界の裏側をまざまざと見せ付けられたようで…。
場所はこちら。
【参考資料】
鎌倉・太平洋戦争の痕跡(鎌倉市中央図書館近代史資料収集室CPCの会編:平成16年)
鎌倉市中央図書館蔵