肘折温泉は山形県大蔵村にある温泉地です。
以前「肘折希望橋(ひじおりのぞみばし)」にも記しましたが、街全体が肘折カルデラと呼ばれる火口原の中にあり、807(大同2)年開湯という伝説のある、非常に古い歴史を持つ温泉です。
現在でも大型の観光ホテルはほとんどなく、三軒の共同浴場とこぢんまりした湯治宿が身を寄せ合っています。
温泉街には湯治宿のほかに数件の土産物店が軒を連ねる昔ながらの光景が広がっています。
昭和の香りを感じさせる懐かしい佇まいです。
お正月なので閑散としていますが、春から秋にかけては朝6時から朝市も行われ、湯治客と地元の方々でとても賑わいます。
古い町なので、道もとても狭く鍵状に屈曲した場所もあるのですが、この道を大型の路線バスが元日を除く毎日定期運行しています。
ちょうどその屈曲部分に、旧肘折郵便局局舎が保存されています。
山間の鄙びた温泉街としてはモダンな木造建築。1937(昭和12)年の建造で、右書きの「局便郵折肘」の銘、白く縁取られた格子窓の建物は、それでも周囲の和風建築の旅館と調和しています。
そしてひときわ目立つ赤い丸ポストが良いアクセント。
隣家と接する門柱には、「口用通局折肘」の表札。
最近このような磁器製の表札もめっきり見かけなくなりましたね。
この郵便局のある辺りが肘折の中心街になります。
郵便局前の屈曲を過ぎたところに共同浴場上ノ湯があり、鉄筋コンクリート二階建ての建物は公民館を兼ねています。
以前はこの建物の屋上に火の見櫓が設けられていましたが、残念ながら数年前に撤去されてしまいました。
当時の姿を参考に。「火の見櫓図鑑」でも、この櫓についてご紹介しています。
上ノ湯は、肘折温泉の中核を成す施設です。
他の源泉は鉄分を含んだ赤褐色の湯が主体ですが、この上ノ湯だけは無色透明の湯になっています。地元の方々や湯治客で毎日賑わいをみせています。
この上ノ湯の隣に、小さな鳥居が立てられています。湯座神社、通称薬師神社の鳥居です。
鳥居の傍らには、「秋葉山碑」があります。
これは1706(宝永6)年から20年の間に肘折が三度も大火に襲われたことから、村民が近くの山からこの石を切り出し、仙台にある瑞鳳寺の南山和尚に揮毫を依頼して建立したものです。
碑文の「秋葉山」の「秋」は、写真では雪を被ってしまい判読できませんが、「火禾」というように偏とつくりが逆になっています。これには南山和尚が「秋は紅葉に通じ、紅葉は大火を連想させるため敢えて逆にした」という逸話が残されています。
鳥居を潜ると、細く急な階段があります。元旦の参道は雪に覆われ、上り下りにはかなり難儀しました。
不安定な足元に注意しながら階段を上り詰めると、神社の境内となります。
階段とは逆方向にも鳥居がありますが、半分ほど雪に埋もれてしまっています。この辺りの雪深さを感じていただけるかと思います。
鳥居越しに社殿を。側面は雪囲いが設けられています。
湯座神社の社殿。写真右手のわずかに雪が除けられた道から中へ入り参拝します。
湯座神社の創建は、1390(明徳元)年とも伝えられています。
一説には肘折温泉自体の開湯を1390年とする説もあります。実際大同2年という年は密教に関わる伝承では非常に多く登場する年号でもあり、出羽三山月山に近く修験道と非常に係わり合いの深い肘折開湯伝説も、この影響を受けているという見方もされています。
また、肘折にはこの神社の由来についての伝説が語り継がれています。
上ノ湯の源泉があるとき突如止まってしまい、困った村人が源泉を掘り返すと1つの石が出土し、それを持ち上げると湯が再び湧き出しました。この石をよく見ると神仏のような姿をしていたため、村人が京都に赴き専門家に鑑定してもらうと、これは薬師様なので大切に奉るように」との結果が出たため、上ノ湯の上に社を立ててご身体として安置した、というものです。
元々あった社に薬師像を安置し、湯座神社、薬師神社という名もこの逸話にちなむようです。
現在なお肘折温泉にとってはかけがえのない守り神として鎮座しています。
場所はこちら
参考図書:「肘折読本」 肘折地区・肘折温泉郷振興株式会社発行