以前鎌倉隧道めぐりのひとつとしてご紹介した、鎌倉市手広の鎖大師参道隧道。
この参道隧道跡の傍らに、鎌倉ではよく見られる切り通しの道があります。谷戸坂の切通です。
この道はかつて「江の島道」と呼ばれた古道です。
本来の「江の島道」は、旧東海道藤沢宿から現在江ノ島電鉄江ノ島駅や湘南モノレール片瀬江の島駅があり、日蓮上人が危うく処刑されそうになった旧刑場跡に建つ龍口寺のある龍口(たつのくち)を経て江の島に至る、江の島参拝や観光で賑わった古道を指すのが一般的ですが、鎌倉街道の大船小袋谷から手広、鎌倉山、津村を経て龍口へ至る道も「江の島道」と称されていました。
谷戸坂切通は、この道筋の中でも難所となる鎌倉山越えに切り開かれた切通しで、「鎖大師参道 – 鎌倉隧道めぐり」の項でもご紹介した通り、現在宅地造成によって存亡の危機に立たされています。
この谷戸坂には二つのルートがあり、ひとつは鎖大師参道隧道の傍らにある切り通し、もう一つは少し先の尾根伝いに迂回する山道です。
切り通しの道は斜面を直登するため坂が急なことから「男坂」、尾根伝いに迂回する道は斜面が緩いことから「女坂」と呼ばれていました。
鎖大師参道を何度か訪問する際に男坂も併せて探索していたので、今回は様々な時期の写真が交錯して少々分かりづらい点もあるかと思いますが、この谷戸坂切通「男坂」をご紹介いたします。
(煩雑になりますが、写真には一点ずつ撮影時期を明記します)
2013(平成25)年11月撮影
「危険 落石のおそれがあるので通行を禁止します」という看板が立てられ、カラーコーンとバーで区切られていますが、まだ通路としては利用されているようでした。
降り口の右手にはなにやら石塔が立てられています。
2013(平成25)年11月撮影
こちらについては、「山さ行がねが」にてヨッキれん(平沼義之)氏によって詳細に解読されていますので詳細は省略しますが、土地開墾を顕彰する石碑で直接道路とは関係の無いもののようです。
2013(平成25)年11月撮影
切通しの入口に立つと、左側には別の石塔が半分壁面に埋め込まれるように設置されています。
2013(平成25)年11月撮影
「堅牢地神塔」。
堅牢地神とは仏教において大地をつかさどる神の一柱で、十二天神のひとつ地天とされています。
相模一帯では地神講といって春分、秋分に最も近い戌の日に、床の間に堅牢地神や弁財天の掛け軸を掲げ、春は五穀豊穣を、秋は収穫のお礼参りを行うという風習があり、堅牢地神は一般的にも根付いていたようです。
文字通り強固な大地を支える神ということで、細く深く穿たれたこの切通しの安寧を願って建立されたものと思われます。
2013(平成25)年12月撮影
高さは10m近くあるのではないでしょうか。道幅は2mほどしかないため、両側に切り立つ岩壁が圧倒的な迫力で迫ってきます。
柔らかく掘削がしやすく古くから切通しや隧道が発達してきた三浦半島ならではの光景です。
比較的最近まで生活路として利用されていた証として、蛍光灯の街灯が設けられています。
切通しの向こうは開けていますが、これは裏手の宅地造成に伴い森林伐採が行われたことによるもので、以前は鬱蒼とした森になっていました。
この切通し区間については、余計な説明を加えるよりその迫力を写真でご覧いただいた方が素晴らしさを実感いただけると思いますので、様々なアングルから撮影したものを何点か続けてご覧ください。
2013(平成25)年12月撮影
2013(平成25)年12月撮影
2013(平成25)年12月撮影
2013(平成25)年12月撮影
2013(平成25)年11月撮影
2013(平成25)年12月撮影
2013(平成25)年12月撮影
本当に山の一部だけを鑿で切り欠いたような切通しです。
以前は繁茂する木々に隠されており、このような見るものに強烈な印象を与える道形は分からなかったのですが、造成工事による伐採によって、その特異さがあらわになったというのも皮肉なものです。
2014(平成26)年7月の再訪問時には、写真左手斜面は下の写真では分かりませんが伐採だけではなく掘削もかなり進捗しており、土留めの役割として巨大な土嚢が道の上に一列に並べられていました。
2014(平成26)年7月の状況です。
上の写真から半年ほど経過しましたが、この道がすでに建設現場の一部に取り込まれていることが思い知らされます。
反対側の写真も対比してみましょう。
切通し区間を終えた道は、左手へと緩やかなカーブを描いて下りてゆきます。
2013(平成25)年12月撮影
2014(平成26)年7月撮影
少し小さくてわかりにくいですが、上部から作業道が設けられ、正面奥下手の部分は法面切土工事と擁壁の基礎工事が進展しています。
2013(平成25)年12月撮影
カーブを過ぎたところから上り方面を振り返って。
電灯が設置されていたことからも分かるとおり、古道ですが生活路としても利用されていたため、路盤にはコンクリート平板が敷かれるなど歩きやすいように整備されていました。
劇的に変貌したのは、男坂の登り口です。
まずは2011(平成23)年8月。
この時点では全くの手付かずで、真夏だったこともあり藪と化していてとても先へと進む気も起きない状態でした。
続いて2013(平成25)年12月。
上の写真から2年がたち、正面の森の木々が伐採され、山の形が露になっています。しかしこの時点では、「通行を禁止します」という看板はあるものの工事のためか柵も撤去され、まだ道としての機能は十分に果たしていました。
そして2014(平成26)年7月。
大規模な足場が組まれ、コンクリート擁壁の建造が進んでいます。斜面は大きく削られ、大量の土嚢が積まれています。これから先、さらに工事が進むとこの辺りの景観は一変し、上の高台には住宅が立ち並ぶことになるのでしょう。
そのとき切り通しがどのような状態になるのかは今ではまだわかりません。
鎖大師参道の項でも言及した開発計画によると、切り通し部分については微妙に手を入れずに開発が進められるようにも図面からは読み取れるので、特徴ある深い切り通しそのものは残されることに、一縷の望みを託したいと思います。
次回は女坂をご紹介いたします。
場所はこちら。