長野県道22号松川大鹿線は、天竜川に沿って走る県道18号伊那生田飯田線を松川から別れ、小渋湖の最奥部で県道59号松川インター大鹿線と合流して大鹿村鹿塩の国道152号に至る、延長16kmほどの県道です。
「松川大鹿線」と名づけられていますが、松川と大鹿の町村境界周辺は災害等で通行止になることが多く、松川と大鹿の主要な交通は県道59号にとって替わられ閑散としています。
起点の松川町生田から1.5車線と2車線が入り交じるカーブの多い道を5キロほど進むと、右手に福祉施設、左手に中山バス停が現れます。現道はそこから緩やかに左カーブを描いているのですが、直進方向になにやらスペースが。
訪問時は積雪があったので分かりにくいのですが、積雪がなければアスファルトが露出しており、より旧道であることが確認しやすいようです。
1.5車線幅の路盤跡が続きます。正面には山が迫ってきています。
そしてわずかに左にカーブした先に、隧道が見えてきました。中山隧道です。
「隧道データベース」によると、中山隧道の詳細は下記の通り。
竣工年度:1935(昭和10)年
延長:66m
車道幅員:4.5m
限界高:4m
素掘、覆工の別:覆
舗装:未
延長は66mとさほど長くはなく、反対側の坑口もすぐ近くに見えています。竣工は1935(昭和10)年と意外と古いですね。
遠目には坑門は壁柱も備えた立派な石造にも見えたのですが、近寄ってみればコンクリート造のなんちゃって構造。
それでもここまでの装飾を施すというのは、ある種のこだわりを感じさせます。
見た目にはとても状態がよく、竣工から80年近く経過しているとは思えません。後年改修がされたのでしょうか。
限界高は4mですが、現実的な規制高は3.4m。
3.4m程度だと、ちょっと大きめのアルミボディのトラックだと通行に支障があります。洞内を見てもそれほど劣化しているわけでもないのにこの隧道が破棄されたのは、そのあたりが原因かもしれません。
もっとも、あの国道153号伊勢神トンネルは、現道でも制限3.5mで10cmしか違わないのに現役で多大な交通量を受け持っている訳ですから、この交通量の少ない県道でそれが決定的な付け替えの理由になるのかは分かりませんが…。
扁額は右書きで「道隧山中」。署名は見当たりません。
洞内。隧道データベースの元データとなっている「道路トンネル大鑑」刊行の1967(昭和42)年時点では未舗装だったようですが、現状では舗装路となっています。
特に崩落や目立つひび割れなどもなく、実に良い状態が保たれているように見えます。
…状態が良すぎて少々物足らない感じもあるのですが(笑)
振り返って。
竹林が迫っているので、坑口には竹が何本も覆いかぶさっています。
それにしてもきれいな洞内。
照明は片側に5基取り付けられていました。
反対側の坑口は東向きで、ちょっと薄暗い印象。
外に出てみると、坑門の造形は同じですがこちら側は風化が進み苔むしており、かなりくたびれています。
扁額も同じく中山隧道を右書きしています。
横に回ってみると、坑門のすぐ上から擁壁裏手にかけては土砂が流出しているようです。
擁壁は裏側の構造が丸見えでよく分かります。隧道部分も土被りがほとんど失われているように見えます。
進行方向には現道のガードレールが見えてきました。
廃道部分にはスリップ注意とカーブ注意の警戒標識が残存しています。
振り返ってみると、もともと土被りの浅い隧道であることがわかります。
現道から。こちら側は現道からも隧道がチラリと見えていますね。
廃道区間は都合200m弱といったところでしょうか。
現道は隧道ではなく、切土。
より長い新しい隧道を掘るのではなく、尾根の外側を隧道を掘らずに迂回しています。
現道の線形もごく自然なので、ここに隧道があったというのは注意していないと見過ごしてしまいそうです。
なお、国土地理院の電子国土基本図では、まだ隧道が現役として描かれているので、切り替えられた時期はそれほど前ではないようです。
場所はこちら