国道418号 島古隧道の廃道

長野県飯田市南信濃、かつての下伊那郡南信濃村周辺の「遠山郷」は、周囲を急峻な山に囲まれた地域です。
他の地域への交通は最近でこそ整備が進んでいるものの、かつては険しい谷沿いに続く細い道のみで、ほんの十数年くらい前には、飯田からでさえ「遠山に行く」と言うと「大変だねえ」などというねぎらいの言葉をかけられてしまうような、文字通りの秘境の地でした。

遠山郷へのルートには、南側の浜松から国道152号旧秋葉街道を北上して青崩峠を迂回するヒョー越林道を通るルート、北側の飯田から矢筈トンネル経由で国道152号を南下するルート、そして国道153号飯田街道から天下の「酷道」418号を東進するルートがあります。

この国道418号ルート、153号から分かれてすぐの平谷峠には急勾配の山道があり、また売木村から天龍村までの区間は離合困難な区間が続きます。しかし飯田線平岡駅のある天龍村の中心部から遠山郷の中心部である和田までの間は、現在ではかなり整備が進んでおり、あまりストレスを感じることなくドライブすることができます。

短い区間残存する一車線だった道路に再度センターラインが現れ、もうすぐ和田の街に到着する…とほっとしかけるところで、右カーブとなる手前に突如として隧道が口をあけています。
島古隧道です。

コンクリート造の坑門。現道の線形からするとかなり急なカーブで山腹へと飲み込まれてゆく感じです。

反対側から見ると、現道と交わる角度がさらによく分かるかと思います。

扁額用に広いくぼみがつけられているように見えますが、現物の扁額はごく一般的な大きさ。

「島古隧道 昭和七年四月完成」
「村長 山崎清一 施工 木下建設株式会社」。

入り口付近は補強されていますが、基本的に内部はコンクリート覆工。

中間に程近いところには隧道の主が。

廃隧道に廃家電。
パソコンのモニタのようなものが、なぜか天地を逆にして放置されていました。

出口が近づいてきました。出口付近には型枠のようなものが積み上げられていました。

そして外へ。こちら側は東向きで陽があまり当たらないので、苔生しています。

ちょっとだけ引いてみて。散乱する古タイヤに棄てられた道の悲哀を感じずにいられません。

こちらにも扁額が。西側と同じく大小二つの組み合わせ。

「島古隧道 村長 山崎清一代」
「村長 山崎清一 施工 木下建設株式会社」

ちょっと名前出しすぎじゃないですか、村長(涙)

ここから先はGoogle Mapsなどでは道路として描かれていますが、完全に建設会社の敷地となっているようなので、これ以上の立ち入りはできません。

路盤が続いていたはずの場所にも、小屋が建てられていました。

現道から見るとこのような感じに。
旧道は本来は森に沿って進んでいたようです。

狭かった隧道を、現道は広々とした二車線道路でスルーしています。
前回ご紹介した長野県道22号 中山隧道の廃道同様、付け替えにあたっては新しい隧道を掘削するのではなく、稜線の外縁を切り欠いています。
隧道を掘削するよりは山を切り崩すほうが安くて将来の維持費も掛からない、という算段があったのかもしれません。

なお、「道路トンネル大鑑」には島古隧道の名は見られず、かわりに

「一般県道 下和田平岡停 月の島 下伊那郡天竜村」

と記された隧道があり、こちらの概況が、

延長:83.0m
車道幅員:3.5m
限界高:4.3m
竣工年度:S7
素掘覆工の別:素,覆
舗装:未

と大体合致しているようなので、隧道名と自治体が異なりますが、おそらく「月の島隧道」は、この「島古隧道」を指しているのではないかと思われます。
すぐ南に二連コンクリートローゼ橋「月之島橋」があるので、それと混同されてしまっていたのかもしれません。

 

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