山梨県道23号 増富ラジウムライン 通仙峡廃道

山梨県道23号韮崎増富線は、韮崎市藤井町駒井と北杜市須玉町小尾とを結ぶ主要地方道です。
韮崎市から、県道610号との重複区間が解消される塩川ダムそばの分岐路までは、もともとは穂坂路と呼ばれる甲斐国と信濃国を結ぶ街道の一部でした。
現在も穂坂路の名は残りますが、須玉町江草の県道601号との合流地点から先は県道621~604~601号と通して「増富ラジウムライン」と呼ばれており、増富温泉や瑞牆山登山への主要な観光路線として活用されています。

須玉の町から23号を上り、塩川ダム湖畔のビジターセンターを越えると、すぐに特異な道路景観に突き当たるのですが、それは後に譲ることとして、今回は増富温泉側から県道を塩川方面へと下ってみます。

東小尾の集落を走っていると、不自然な青看板が目に付きます。
地名らしきものが二つ塗りつぶされ、直進方向には×印。そして唯一示されている地名は「日向」。

さすがに近くの集落名だけが記された道標では観光客の多い道路としては心もとないからか、青看板の支柱には、「注意 この先通行止箇所あり 100m先 韮崎方面 左折して下さい」という看板が立てられています。

さらに進むと本谷川を渡る橋があり、左折方向が日向で、元々の県道23号はここを直進しています。

しかし橋の袂には、色褪せてはいるものの、通行止の案内と、左折を促す矢印看板、そして橋桁のガードレールにはなぜか横倒しに「須玉・韮崎方面」のステッカーが貼られています。

丁字路には道祖神が祀られており、案内看板も立てられています。
祠の傍らには石像が多数並んでいるのですが…。

古いものだからか全ての石造の頭部が転倒等で折損したのか失われてしまっており、代わりに丸石が載せられています。
それはよいのですが、中に二体ほどやや微妙な様子の像が…。

何故顔が。しかもペンキかマジックで描いたような…。
子供の悪戯にも見えてしまいますが、これは集落を守る神仏への地元の方の愛情と受け取りましょう。

橋を渡らず川沿いを直進すると、間もなく家並みが途切れ、長閑な1.5車線程度の道が続きます。

300mほど進むと、通行止めの看板と柵が現れます。

なんだか可愛らしいイラストです。

柵の左側が開いていたのでそれを越えて行くと、苔むして鮮やかな緑色になった丸石積みの石垣がしばらく続きます。

川と対岸との間に、野猿といえばよいのでしょうか、荷物運搬用の小索道が渡されていました。
取り立てて対岸に何かあるようにも見えなかったのですが、何に使われているのでしょうか…。

なぜ通行止めになったのかわからない、穏やかな道が続いていましたが、ようやくその理由の片鱗がみえてきました。

落石防護網が破断し、岩塊が道の真ん中を占拠していました。
増富温泉への観光道路としては路幅もやや狭く、このような落石が発生する道路は適さないと判断されたのでしょうか。

今もなお、「県道23 山梨」のヘキサ看板が残されています。

そして「増富ラジウムライン」という案内標識。「須玉町・仙娥渕」という補助標識も掲示されています。「北杜市」ではなく「須玉町」となっているので、2004(平成16)年の合併前に設けられたものと思います。
緑に阻まれて川の様子は分かりませんでしたが、仙娥渕とわざわざ記されているあたり、景勝地だったのかもしれません。

それにしても、「増富ラジウム温泉 ←あと2K」という看板が味わい深いですね。特に「え」のあたりが。

さらに本谷川に沿って下流側へと進むと、再び通行止の柵と看板が現れました。さきほどの可愛らしい車のイラストの通行止看板の場所からここまでが、完全な通行止め区間のようです。
こちら側の看板には、理由として「落石のため」と明記されていました。

ここからはやや狭隘で車の離合が困難な車幅の道がしばらく続きました。
落石注意の看板は錆の進行が進み、支柱はほぼ赤茶けていました。

ややきつい下りカーブに差し掛かると、道幅はそれまでの倍以上にひろがりました。
降雨時に水が流れるのか、舗装上には放射線状に縞模様が浮かんでいました。

カーブを下りきってしばらく進むと、これまでの線形には似つかわしくない、センターラインのある片側二車線の立派な橋が架けられていました。
本谷橋(ほんたにはし)という銘板が掲げられていました。

その向こうにはまださして古くないトンネルが。
緑に覆われて写真ではわかりませんが、「通仙峡トンネル」の扁額が掲げられています。

トンネル手前には電光掲示板まで装備されています。
しかし橋脚のジョイント部にも坑口の周囲にも雑草が生い茂り、現役道として利用されている雰囲気は感じられません。

電光掲示板の支柱には、古めかしい味わいある書体で、山梨交通の名でトンネル出口のバス停に注意を促す看板が掲げられていました。

トンネル自体はさほどの長さではなく、すぐに反対側の坑口が見えます。先にもう一つほぼ同規格の塩川トンネルが口を開けているのが見てとれます。そしてこの「通仙峡トンネル」の坑口は、柵で塞がれて車両の通行ができないようになっています。

塩川側の坑口に掲示されていた看板。

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本路線については、落石等のため全面通行止めとなっています。
ただし 月 日 ~  月 日の期間については歩行者のみ通行可能とします。
なお、本路線については、倒木・落石防止などの処置が十分ではありませんので、利用される方は次の事項を了承のうえ通行してください。

1. 降雨・強雨時には落石または倒木の恐れがありますので通行止めとします。
2. 当路線の通行に関して発生した事故・けがに関する責任は一切負いません。

管理者 北杜市

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このような道路で、期間を限定するとはいえ公式に「自己責任」で通行を許可するというのも珍しいのではないかと思います。
通仙峡という名の通り、この区間は本谷川沿いに峡谷が広がっているのですが、紅葉の名所として有名な場所です。そのため、増富温泉への道路として供用するには落石、倒木が多く道幅も狭いことから破棄したいものの、観光資源としては重要だという微妙な事情が、このような利用形態を生んだのではないでしょうか。

もっとも、もしこの県道が現役だったとすると、紅葉のシーズンは徒歩で散策する観光客と通行車両との間で、自然災害とは別の意味で事故が多発したかもしれませんが…。

現在の増富ラジウムラインは、本来であれば塩川側からゆるやかな線形で通仙峡トンネルを越えて狭い峡谷部へと進むはずのところを、90度の急カーブで山へと登ってゆきます。

こちらの道はスノーシェッドが整備され、幅員も最初にご紹介した道祖神のある分岐点までほぼ片側二車線で整備されており、途中の集落名「日向」の示す通り、峡谷で狭く陽光の射し込みも少ない本谷川沿いに比べれば、冬季の降雪・凍結時の通行も安心して確保できそうです。

通仙峡の区間について山梨県県土整備部道路管理課に照会したところ、2006(平成18)年11月に北杜市へ移管されており、既に県道の指定を外れているそうです。
通行止の措置が取られた時期は不明で、現在の日向集落を経由するルート(当時の市道増富塩川線)の道路改良整備が完了した時点で迂回機能が確保できたことと、通仙峡区間は落石が頻発し安全な通行が確保できないことから通年通行止の措置となったとのことでした。

正式な通行止め時期は判明しませんでしたが、全国のトンネルの写真を資料として掲載してくださっているウェブサイト「穴蔵(あなぞう)」さんの情報を見る限り、少なくとも2004(平成16)年の2月には、既に通仙峡トンネルには通行止の柵が設置されていたことが分かっています。

通仙峡トンネル – 穴蔵 : http://anazo.skr.jp/tunnel/t.php/19/p/023/tsusenkyo/
(ウェブサイト「穴蔵」 http://anazo.skr.jp/ より)

通仙峡トンネルの完成は1989(平成元)年11月ですから、わずか15年未満しか供用されていなかったことになります。

地形図を見てもこの先増富方面へは拡幅やバイパスの建設などが困難そうに見える地形・地質であるにも関わらず、なぜこのような立派なトンネルと橋梁が建造されたのかについては、後日稿を改めてご紹介したいと思います。

 

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