前回ご紹介した「山梨県道23号 増富ラジウムライン 通仙峡廃道」。
増富側から下った最終地点には、廃道には新しく、立派過ぎる橋と隧道がありました。本谷橋と通仙峡トンネルです。
これより増富側の狭く落石の多い道には不釣合いな、これらの高規格な道路が造られたのには当然理由があります。
この地を流れる塩川は、金峰山や瑞牆(みずがき)山といった秩父山地を源流として、北杜市須玉町(旧北巨摩郡須玉町)を経て富士川へ至る延長約40kmの一級河川です。
流域は勾配が急で、古来幾度も洪水被害に見舞われていました。県による河川改修は継続的に実施されていましたが、流域の農地化、宅地化が進行して河道を拡張するなどの抜本的な改修を行うことが困難になっていました。
また、周囲には火山性噴出物によって形成された台地があり水はけがよく農業用水の確保が困難であったこと、さらに人口増加による水道用水の水源確保が必要となってきたことから、治水・利水、さらには資源の有効活用のために発電までを目的とした塩川総合開発事業として、多目的ダムが計画されました。
この計画は1970(昭和45)年4月より山梨県による予備調査が開始され、1989(平成元)年6月に着工、1998(平成10)年10月に完成しました。
ダム建設地とされた塩川は増富地区の中心地で、36戸の民家をはじめ、小学校や保育園、駐在所、農協支所などの公共施設が設けられていました。
周囲を急な斜面に囲まれた谷間の町だけに、狭小な農地を含む集落の大半が水没することになるため、1975(昭和50)年1月に塩川ダム建設反対委員会が結成され、2年間にわたり交渉が続けられた結果、反対運動から移転補償に方針が転換され、1985(昭和60)年12月にようやく補償協定が締結しました。
当然のことながら、集落が水没するのに伴って道路にも付け替えの必要が生じました。
通仙峡廃道区間でご紹介した本谷橋と通仙峡トンネル、そしてそれらに隣接し、現在も増富ラジウムラインとして活用されている塩川トンネルなど一連の構造物は、塩川ダムの補償工事として建設されたものなのでした。
水没前の塩川集落周辺を地形図で見てみましょう。
国土地理院発行 1:25000 「谷戸」(昭和58年7月発行)、「瑞牆山」 (昭和61年11月発行) より引用
水色の部分が塩川ダムによって水没した箇所、そして赤色の部分が、本稿でご紹介する廃道となった区間です。
かつての県道韮崎増富線は塩川沿いに谷間を進んで塩川集落へと至り、集落の中心部から東へ進路を変えて本谷川沿いに通仙峡、増富温泉へと向かっていました。
この一帯の現況は、下図の通りとなっています。
国土地理院発行 1:25000 「谷戸」(平成2年7月発行)、「瑞牆山」 (平成18年11月更新) より引用
赤色の部分が、ダム工事に伴う付け替え道路です。
今回ご紹介する県道23号韮崎増富線以外にも、塩川ダムの天端を通り鹿鳴峡大橋でみずがき湖を渡る県道610号原浅尾韮崎線、鹿鳴峡大橋の手前から塩川に沿って北上する町道塩川御門線、さらに塩川トンネル東側からみずがき湖を周回するようにして鹿鳴峡大橋北側へ至る湖岸工事道路が新たに敷設されました。
須玉の市街から塩川へと至るかつての県道は、現在では塩川ダムへの管理道路として利用されています。
それでは前回の「山梨県道23号 増富ラジウムライン 通仙峡廃道」の最終地である、みずがき湖湖畔に設けられた「みずがき湖ビジターセンター」から塩川トンネルを越えた地点、通仙橋から改めて増富方面へ歩を進めます。
塩川側から分岐地点を。
この「通仙橋」も塩川ダム建設に伴う補償の一環として建造されたものです。
右手には現県道となる日向集落経由の道がほぼ直角に近いカーブを描いていますが、前記事の通り、本来であればごく自然に直進方向へ進行できるはずの通仙峡トンネルは、柵で閉ざされて車両が通行することができません。
通仙峡の廃道区間については、山梨県県土整備部道路管理課に照会した折に、今後の再整備計画の有無についても問い合わせを行いましたが、県としては既に北杜市に移管されていて不明なため、北杜市に照会して欲しいとの回答でした。
北杜市への問い合わせをしていないので実際のところは分かりませんが、日向集落を経由する付け替え県道は全線二車線で整備されており、アップダウンはありますが距離も廃道区間より短くなっていることから、県道23号として通仙峡トンネルを再活用してバイパスなどを造ることはなさそうです。
また、このような並行県道が存在している以上、通行止区間には民家一軒すら存在しないこの路線について、北杜市が再整備事業を実施する可能性はほぼないのではないかと思われます。
補償工事による通仙峡トンネルと本谷橋は、新規建設となるために道路構造令に準拠して第三種第四級の規格で建設されたものの、その先は補償には含まれないため単独事業として拡幅整備を行わねばなりません。
しかしここから先の区間は落石が多く脆い地質でもあり、費用と効果を天秤にかけて旧市道の整備による県道付け替えが選択され、このトンネルと橋はあっさりと見捨てられてしまったのでしょう。
それでは、もはや車道としての再生はほぼ絶望的と思われる「通仙峡トンネル」を越えて、増富方面へ進んでみましょう。
以前通仙峡区間の廃道を歩いたのは2013(平成25)年6月で、その時は緑に覆われていて石垣があるな…というくらいにしか分からなかったのですが、2014(平成26)年4月の再訪時には、まだ木々が芽吹く前だったので、本谷橋から廃止区間の石垣がとてもよく見えました。
本谷橋から下流の塩川方向を向いて。下流へ向けて続く石垣と、嫌になるほど堆積した土砂がよくわかります。
ちなみに6月に同じアングルで撮影したのがこの写真です。
これでは木々に阻まれて、ここに道があったことは良く観察しないと分かりません…。
石垣の上に斜め45度でたっぷり堆積した土砂とそこに根を生やす木々。先が思いやられます。
石垣上部のコンクリートブロックは、この周辺ではよく見かけるガードレールの支柱を埋めたブロックです。
少しでも道幅を稼ぐために斜面側へ突き出して設置されていたものと思われます。
本谷橋を渡りきった地点より通仙峡トンネル方面を振り返って。
あくまでダムの補償工事としての整備だったため、湛水域終端のこの地点で高規格の道は終わりを告げ、ここから上部は通仙峡区間の項でお伝えした通り、狭隘な昔ながらの幅員となっています。
右側の斜面には踏み跡が残っているので、それを頼りに下流方面へと進入します。
対岸から眺めたときには厳しそうに見えた斜面ですが、最上部には幅1m足らずですが平場が形成されていたので、それを頼りに歩けばさほど不安は感じません。
ただし、足元は枯葉が堆積してかなりフカフカしているので決して歩きやすくはありません。
しばらくはこのような道が続きます。
とはいってもここは本来の路盤ではなく、実際の路盤からは3~4mほど上方にあたります。
途中には基準点が埋設されていました。斜面に埋設されているので、廃道後に設置されたものと推測されます。
路盤のあったところまで下りられそうな箇所があったので、しばらく本来の路肩伝いに歩いてみましたが、左側は崖で右側は急斜面、そして僅かな足場は土砂とフカフカの枯葉で覆われていて、いつつまづいて転落してもおかしくないので、大人しく途中で上部の平場へ戻りました。
とはいえ、平場があるからといって安心はできません。見上げればこの有り様。
辛うじて落石防護網が機能していますが、下端は崩落した岩石でパンパンに膨らんでいるので、いつ破れてこちらを襲ってくるか分かりません。
しばらく進むと本谷川の対岸にも道が見えてきました。
どうやら橋台のようです。
非常に気になりますが、現在の位置からはかなり下にあるので、こちらは後回しにしてひとまず塩川方面へと歩を進めます。
そのうち平場が無くなり、斜め45度をひたすら歩きます。幸い踏んだそばから崩れるようなひどいガレ場にはなっていないので、油断は禁物ですが見た目ほどの怖さは感じません。
そんな区間が300m近く続いたところで、崩落がおさまりガードレールも残存する道らしい平場が見えてきました。
ようやくひと心地つけそうな雰囲気です。
つづく。
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