山梨県道23号韮崎増富線 塩川ダム廃道区間 その3

その2からの続きです。

ついに水没地点がやってきました。

かつてはこの坂道を下ってゆくと、塩川の町へ出ました。今は水の底に沈んでしまったこの道の先に、人々の暮らしがありました。

暮らしを支えた道が水の底へ消えてゆく様に、悲しさを感じずに入られません。
しかしこのダムのおかげで、下流域の水害が防がれ、農地に水が行き渡り、電気がおこされ人々の安全で豊かな暮らしが支えられているのです。

遠くに見えるアーチ橋は「増富大橋」です。
こちらは塩川ダム補償工事の一環として湖岸工事用道路に架橋された、橋長80mのローゼ橋です。

「塩川ダム建設工事図面集」に、この増富大橋の図面も収録されているのですが、図面には水没した道路の道形も描かれていましたので引用いたします。


塩川ダム建設工事図面集 (1999年3月 山梨県大門・塩川ダム事務所編 すたま森の図書館蔵)
169ページより引用


塩川ダム建設工事図面集 (1999年3月 山梨県大門・塩川ダム事務所編 すたま森の図書館蔵)
169ページより引用

増富大橋の向こうには斜面が見えますが、ここは塩川トンネル東側に位置しており、現在みずがき湖ビジターセンターが建てられています。
この部分はダム建設時に旧河道があり透水性の高い地質であったことから、左岸遮水工として大規模な補強工事が行われました。実際の塩川ダムはさらに下流側にあり重力式コンクリートダムなのですが、この視座で眺めると左岸遮水工上部はロックフィルダム形式となっているので、こちらが塩川ダム本体のようにも見えます。

あいにく防水の靴を履いていなかったので、そのまま路盤を進むことはせず、側壁にへばりつくように行けるところまで行ってみました。
案の定、最終的にはズボッとはまって靴はずぶ濡れになってしまいましたが…。

水没地点の動画を撮影しました。
写真を撮りながらの録画なので、シャッター音などが入ってしまっているのはご容赦ください。

もの静かな湖面に、擁壁がゆらゆらと揺れていました。

水没地点を見届けたので、来た道を折り返します。

再び崩落地点へ。

一度通っているとはいえ、二度目も大丈夫という保障があるわけではないので、やはり気持ちの良いものではありません。

復路も無事に突破しました。

往路は斜め45度に傾斜した斜面の上端を歩いていたので気づきませんでしたが、下側に平場があったのでそちらを進んでみます。

しばらくすると石垣が現れました。どうやらここで道が分岐していたようです。

石垣の上部は元来たルートで本谷橋の右岸側で通仙峡区間に合流しており、下のルートは本稿「その1」で後回しにした橋台の方へと続いているようですので、そのまままっすぐ下段の道へ行ってみましょう。

写真では分かりにくいですが、中央上部にアーチのようなものが見えてきました。塩川トンネルを出て通仙峡トンネルの手前を右にカーブした先にあるスノーシェッドです。

こちらの道は現在の県道となっている日向集落へ向かう町道(当時)の跡です。

対岸の橋台が見えてきました。

町道とはいえ、かなり立派な橋台です。

道は川に突き当たり、右に曲がりつつ対岸へ渡るのですが、その突き当りの部分に重量制限3.0tの規制標識が残されていました。

いまはもう重量を制限すべき橋もなく、ただひっそりと人目につかず佇んでいます。

こちら側の橋台は、完全に路盤が崩落土砂に埋もれていました。

対岸に渡ってみようかとも思いましたが、特に川を渡るための装備をしていなかったので今回はあきらめて、来た道を戻ります。

県道と町道の分岐まで帰ってきました。改めて斜面を登り、県道跡を本谷橋へ向けて戻ります。

本谷橋が見えてきて、一瞬「ようやく現道に復帰できる」と安堵しましたが、よく考えたら、橋自体は新しいですが本谷橋も廃道なのですよね。

本谷橋から改めて石垣を観察していたら、なにやら黒い影が。

アーチ状の暗渠のようです。
ここからだと下りる術がないので、ここを観察するには先ほどの旧町道の橋台のところから、上流へ遡らねばならなさそうです。
さすがに改めて行きなおす気力は無かったので、ひとつ宿題を残してしまいました…。

つづく。

 

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