與良木峠と本郷隧道 その1

国道151号を南下し、愛知県東栄町の市街、本郷の集落を抜けると、二つの隧道が口を開けているのが目に入ります。
現道が「新本郷トンネル」、フェンスで塞がれた旧道が「本郷隧道」です。

これら二つの隧道は、国道151号別所街道の難所であった與良木峠の通行を改良するために開削されたもので、旧隧道は1921(大正10)年に開通しました。
本郷隧道は長年地域の交通を支えてきましたが、増え続ける交通量と車両の大型化に抗しきれず、1989(平成元)年に新本郷トンネルが開通したことで、その役目を終えました。

これら二つの隧道については後述することとして、まずは本郷隧道開通以前の與良木峠の旧道を辿ってみようと思います。

国道151号についてのエピソード151話を綴った「国道一五一号 一五一話」(内藤昌康著 春夏秋冬叢書刊)の「与良木峠」の項に、こんな気になる記述がありました。

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本郷から与良木峠への旧道は、林道兼中部電力の作業道として今も利用されており、小さい車ならかろうじて峠まで行くことができる。しかし峠から山の向こうの奈根へと下ってゆく道は、痕跡がかすかに残るものの、歩いて下りることも無理のようだ
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国道一五一号 一五一話(2004年 内藤昌康著 春夏秋冬叢書刊) 192ページより引用

確かに最新の国土地理院1:25,000地形図「三河本郷」(昭和45年測量 平成19年更新)を見ても、峠の頂上あたりから本郷までは「幅員3.0m未満の道」として実線で描かれていますが、それより南側には道の記号は見られませんでした。

まずは本郷隧道開通前の地図を見てみましょう。

大日本帝國陸地測量部発行 1:50000 「本郷」(昭和7年5月発行) より引用
※縮尺は適宜変更しています。

本郷側は急なヘアピンを描きながら峠へ上り詰め、奈根側は等高線に沿いつつ、徐々に下って行きます。

続いて最新版の2007(平成19)年版の1:25,000地形図の状況です。

国土地理院発行 1:25000 「三河本郷」(平成19年4月発行) より引用
※縮尺は適宜変更しています。

本郷側は峠までの道が描かれていますが、そこから奈根に至る道筋は全く記載されていません。この道が利用されていたのは本郷隧道が開通した大正6年までの間なので、明治時代の道の名残が少しでも見られるのでは…と思い、「痕跡がかすかに残るものの、歩いて下りることも無理のようだ」という「国道一五一号 一五一話」の記述が気になり、藪漕ぎも辞さない構えで2014(平成26)年12月28日に現地へと向かいました。

今回は奈根側から峠を目指したいと思います。
国道沿いの農産物直売所の前から、中奈根集落へと入って行きます。

中奈根集落への入口です。
いかにも旧道といった風情ですが、注意していないと見過ごしてしまいそうです。

緩い上り坂の直角カーブを曲がると集落へ入っていきます。

中奈根集落。
この集落の最奥部から、旧道は与良木峠への登りに入ります。狭い集落内には駐車できるスペースがないので、行けるところまでは車を進めてみます。

集落の北端にきました。神社が祀られており、その先に舗装路が続いています。

「この先林道工事中 工事関係者以外立入禁止」の看板。
どうも風向きが怪しくなってきました。その先には何やら文字が記された白い杭が立っています。

「平成21年度 町単独事業 基点 林道よらき線(舗装)」

…ちょっといやな予感がしてきました。
余談ですが、この辺りで写真を撮るために車を降りた際、閉めたドアに左手の親指を強か挟んでしまいました。激しい内出血とジンジンする痛みが襲ってきました…。

指が猛烈に痛むものの、山間部、年末の週末、午前中の早い時間帯ということで、開いている病院は近くにありません。
外傷ならともかく内出血にまで対応した応急手当をする救急用具も持ち合わせていないので、とりあえず舗装もされていることから、携帯電話で診療を受け付けてくれそうな病院を探しながら先へ進んで行きます。

ごく普通の…というか、しっかりした舗装がされている分、林道としては上等の部類に入る道が続きます。
「歩いて下りることも無理」な道は一体どこへ。道を間違えたと思いたい…と痛い指でハンドルを握りながら登り続けます。

途中で舗装がさらに新しくなりました。
指の痛さと相俟って、もう泣きそうです。

「電源立地地域対策交付金事業(舗装) 平成二十六年度 起点 林道 よらき線」

今年度舗装されたばかりのようで、整備が着々と進んでいるようです。
整備に尽力されている方々には申し訳ないのですが、「私が求めているのはこんな立派な林道じゃなくて明治の道の痕跡なんだ!」と心の中で叫びつつ、さらに車を進めます。

今年度の舗装事業区間が終了したようで、ようやく未舗装の林道が現れました。
しかし未舗装とは言ってもかなり路盤は養生されているようで、轍や穴などもなく非常に走りやすい道でした。

途中で氷柱も生えている沢水の流れを見つけたので、手持ちの容器に氷柱の氷と沢水を入れて、遅まきながら痛む親指を冷やし始めました。既に内出血で紫色に腫れ上がっています。
客観的に見ればさっさと病院へ行け、という話なのですが、ここは奥三河。年末に休日診療をしてくれるところが全然見つからず、道もすっかり普通の林道が続くばかりだったので、どうせすぐに病院に行けないなら癪だから行ける所まで行ってから帰路につこう、と半ば自棄気味に前へ前へと進みます。

途中現れた崩落箇所。
ここは轍の部分にも先端の鋭利な岩塊がごろごろしていたので、一旦車を止めて邪魔な石を避けました。そんなことをしている場合ではないのですが、あまりの指の痛さに意識が朦朧として、正しい判断ができなくなっていたようです。
ちなみに写真は除去作業を終えたあとの状況です。

未舗装で少しずつ状態は悪くなっていますが、それでも私の車高の高くないステーションワゴン車でも難なく走行できるレベルのよい状態の道が続きます。

「ふるさと林道整備事業(開設)」の表示。
どうも先行して林道整備→舗装整備という順番で粛々と整備が進められているようです。

「平成十八年度 起点 林道よらき線」。

しつこいようですが、私が踏破したかったのは、林道よらき線ではなく旧別所街道だったのですが…。

おそらく中奈根と与良木峠の中間あたり。
この周囲が一番轍が深く草生していました。それでも走行には全く支障なし。

もう諦めました…。

ふと開けた場所で車を止めてみると、遥か眼下に現道の国道151号が見えました。
車なのでそれほど気になりませんでしたが、気がつけばかなりの高度を稼いでいたようです。

再び林道の状態が落ち着いてきました。
峠が近づいてきているので、恐らくはこのまま峠まで到達できてしまうのでしょう。

途中で見つけた岩壁。
見かけた杭に書かれた年号では少なくとも2006(平成18)年には林道整備が行われていましたが、そのときの施工であればもう少し新しい感じがするので、もしかしたらここはもっと古い痕跡かもしれません。
明治のものかと言われると、かなり怪しいですが…。

そのまま進んでいくと、あっさり与良木峠らしき場所へ到達してしまいました。

来た道を振り返って。
ここからは地図にも載っている「幅員3m未満の道」が新本郷トンネルの袂まで続いている筈です。

残念ながら、「国道一五一号 一五一話」が出版された2004(平成16)年の直後から、「痕跡がかすかに残るものの、歩いて下りることも無理」だった道は林道として第二の人生を歩むべく整備が行われたようです。

明治の道の痕跡との出会いという期待が裏切られ、指は脈を打つたびに激痛が走るという踏んだり蹴ったりな状況で、これ以上ないガッカリ感に包まれつつ、本郷の街へ向けて車を進めます。

つづく。