岳南電車 吉原本町駅

岳南電車は、JR東海 東海道本線吉原駅と岳南江尾駅の間、9.2kmを結ぶ小さな鉄道です。路線は吉原駅を基点に円を描くように敷かれており、終点の岳南江尾駅とJR吉原駅の隣駅東田子の浦駅とは直線でわずか3km程度しか離れておらず、もう少しで環状線を描けるような線形になっています。

歴史はさほど長くなく、戦後、当時鈴川と呼ばれ吉原市(現富士市)の中心街から外れていた吉原駅と中心街を結ぶ鉄道として1948(昭和23)年12月に岳南鉄道株式会社が設立され、、まずは1949(昭和24)年11月に鈴川駅から途中の左富士信号所までの間を日産自動車の専用線を流用しつつ吉原本町駅までの間が開通し、その後順次路線を延長して1953(昭和28)年1月に、岳南江尾駅までの全線が開通しました。

沿線には日産自動車や富士市の主要産業である製紙会社が非常に多く立地していたことから貨物鉄道としての性格を強く持っており、最盛期の1969(昭和44)年度には年度の貨物輸送量が99.9万tを数え、貨物専用線の延長が本線の延長を上回るほどの栄華を誇りましたが、自動車輸送へのシフトによる貨物営業の縮小で、2012(平成24)3月には屋台骨を支えていた貨物営業が終了してしまいました。

岳南鉄道株式会社は主力の貨物輸送を失ったことから今後の鉄道事業の存続が困難であるとして、2013(平成25)年4月から鉄道の営業を子会社の岳南電車株式会社に経営分離しました。

岳南電車の置かれた状況は非常に厳しいものではありますが、地元では存続へ向けて様々な取り組みが行われています。今回は、第一期の開業区間でもある吉原本町駅をご紹介したいと思います。

駅本屋です。木造で外装は角波鉄板になっています。
テント張りの庇などが張り出していたら商店と見間違えてしまいそうな佇まいです。
駅名は「吉」「原」「本」「町」「駅」と一文字ずつに分けてプレートに描かれています。

駅本屋の線路側です。
こちらには大きく縦書きで「吉原本町駅」の文字。そして壁面は全面が角波鉄板で覆われており窓がなく、そのため駅舎内は採光性がいまひとつでやや薄暗く感じます。

ホームは途中で延長されたようで、初期の部分は石積み、延長部分はコンクリートになっています。
屋根も手前側は木造ですが、吉原側は後から継ぎ足されていることが分かります。

電車がやってきました。オレンジ色、一両編成のかわいらしい列車です。
旧型車両のころから岳南鉄道はオレンジに白帯が基本色で、現在は京王電鉄井の頭線を走っていたデハ3000系のお古を利用しています。
この車両が入線する前には、「青ガエル」の愛称で親しまれていた元東急デハ5000系が「赤ガエル」に名を変えて活躍していましたが、残念ながら現在では全て廃車解体されてしまっています。

駅舎は静岡という温暖な土地柄もあって扉などなく開放的なつくりですが、前述のように線路側に窓がないのでやや薄暗い印象です。
自動販売機とプラスチック製のベンチの組み合わせが、いかにも街中の小駅といった佇まいを醸し出しています。

出札口。
岳南鉄道は基本的にワンマン運転のため、JRとの連絡駅である吉原駅以外は大半が無人駅ですが、吉原本町駅は日中駅員が配置され、切符の販売が行われています。
岳南鉄道には自動券売機がないので、いまでも窓口で硬券を購入するスタイルになっており、JRとの連絡輸送も行っているのでJRへの乗り換え切符も購入することができます。

小さいながらも有人駅であることを主張する看板。
岳南電車の入場券は社紋が入った特徴的なものなので、記念に購入するのも良いと思います。

年季の入った集札箱。

ホームから改札方面を眺めてみます。
ワンマン運転なので、停車位置には旅客乗降確認用のカーブミラーが設置されています。

そしてスロープの途中に、なにやら足型が見られます。

富士ビュースポット。
こんなにせせこましい立地で富士山なんて見えたかな、と思いつつ顔を上げてみると…。

かなり窮屈ではありますが、確かに見事に富士山が見えました。
貨物廃止以降、少しでも観光の役に立つものなら何でも利用しよう、という涙ぐましい努力を感じます。

ビュースポットはスロープ上ですが、その延長線上にあるホームからは、このように電車と富士山を組み合わせて撮影することも可能です。
青と白の富士にオレンジの電車が好対照を成していて、なかなか良い感じです。

木造上屋の柱の部分には、隣駅表示もついた駅名標が掲示されています。
方杖は棟木方向へのものと垂木方向へのものが、互い違いに設けられていました。
一点に応力が集中するのを避けたのでしょうか。

木造の屋根はホームの駅舎側半分ほどで、後の部分は古レールを利用して延長されています。継ぎ目の部分では、木柱とレール柱が仲良く並んでいます。

逆アングルから。

ベンチは木造屋根下のものはよく見かける木造のものでしたが、延長部分のそれは丸太を半分に割ったものが並べられていました。駅の規模に比べると座席定員は多そうです(笑)

継ぎ目を少し離れた地点から。
レール製の屋根のほうが少しだけ高くなっていることがわかります。
そして壁面には行灯式の駅名板が設置されています。

世界遺産に指定された富士山観光を意識してか、長閑なローカル線でありながら表示言語は日英中韓の四ヶ国語です。

レール製の柱は、垂木を直接支えずY字型で支える形状になっています。レールの強度に比して屋根板がトタン製で軽いため、これでも十分に強度は保てそうですし、部材の節約や加工の手間を省いたのかもしれません。

レール柱部分にも駅名標は掲示されていますが、平滑な部分がなくうまく固定できないため、針金で括り付けられているのが手作り感というか素朴さを感じさせてくれます。

ついうっかり壁側の柱を調べるのを忘れてしまったのですが、線路側のレール柱には銘を見つけることができました。

こちらは「UNION 1902.I.R.J. 」の銘。
1902年、ドイツのウニオン社製のレールのようです。百年以上の歴史を誇る貴重な遺産です。

こちらは少し分かりづらいですが、「30 A (丸にSマーク). 2602. IIIIIIIIII  OH」と記されています。

いつも古レールについて参考にさせていただいている嵐 路博さんの「古レールのページ」によると、この銘の「2602」という数字は年号で、西暦ではなく皇紀で記されているそうです。
皇紀による年号表記は日本製鉄(後の新日鉄)が1940(昭和15)年~1948(昭和23)年10月にかけて製造したレールにのみ使われていたものらしく、特殊な例のようです。
ちなみに皇紀2603年は1943(昭和18)年です。

ホームの途中には、暗渠が顔を出していました。ホームの向かいにある住宅とホームの下を通り抜けているようです。
訪問時は水の流れは見られませんでした。

そして古レールはこんなところにも。
ホーム上屋だけでなく、鉄道用地と民有地の境界の柵にも利用されていました。
さすがに現役路線のホーム内なのでレールの素性を確認できないのがもどかしいところ。

プランターに植えられた花との組み合わせが好ましいですね。

ホームの吉原寄り先端部には、駅便所があります。コンクリートブロックで仕切られているのですが、駅便所愛好家でもある私にしても迂闊にも、内部を確認するのを失念してしまったのが痛恨です。

便所側からホーム全体を見渡します。

この民家と庇を接するほどの密集した光景には、「町の電車」という雰囲気がにじみ出ていて本当に愛おしさを感じずにはいられません。

ホームの吉原寄りには路地があり踏切になっているのですが、その向こう側にもレールを利用した柵がありました。
こちらはさきほどの民家境界とはことなり、踏切に近いことからかトラ柄に塗装されています。

出札口の裏手には、ミニ展示コーナーがあります。
販売しているグッズや吉原の街を紹介するパンフレットのほかに、岳南鉄道で利用されていた道具類も僅かながら展示されています。

ダッチングマシン、鉄道電話、制帽、岳鉄マークのヘルメット。
いずれも貴重なものばかりです。岳鉄マークのヘルメットはちょっと欲しいですね(笑)

苦しい経営ながら、なんとか存続しようと必死に努力する岳南電車。

いつまでも吉原の街を支える足として、活躍を続けて欲しいと強く願うのでありました。

 

場所はこちら。


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