国道454号から浅水川を隔てた豊崎の上永福寺地区に立つ櫓。手前には木造の立派な消防屯所が建てられているが、望楼は見当たらない。しかし、かつては望楼を有していたものが撤去されたもので、かつての写真が論文に掲載されているので下記に引用する。この頃から鉄塔の火の見櫓も存在していたことが当時の写真から分かる。
屯所は1923(大正12)年の竣工で、正面上部はアーチ状に造作されており、その他壁などにも細やかな装飾が施されている。現在は非常に鮮やかなブルーに彩色されており、その洋風な外見と併せて非常によく街並みに映えている。半鐘はなく、代わりに軒下にサイレンが設置されている。
屋根はごく浅い三角形で、避雷針や風向計、屋根飾りなどの装飾は見られない。見張台も張り出しのない三角形で、高欄と水平材は鋼管製。
脚は三本で、主材、斜材、水平材ともに等辺山形鋼製。各部の接合はプレートによるが、一般的にはプレートは材の外側に取り付けられているが、この櫓では内側に溶接されている。また、斜材の交点部には補助材として水平材もいれられており、六角形を面取りした形状のプレートが当てられている。
梯子は一段で桁外設置で、ほぼ全体にわたり転落防止柵が設けられている。基部はΛ型の方杖が渡され、更にその下に水平材が設けられており、水平材の部分の高さに、二辺にわたって足場が設置されている。
(2019年8月訪問)
望楼撤去前の屯所
*「八戸市およびその隣接地域に建てられた消防屯所の建築」 平井 聖 2011.9 学苑 近代文化研究所紀要 No.851(昭和女子大学 近代文化研究所編)より引用
屋根 | △型 |
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半鐘 | なし |
見張台 | △型 |
脚 | △型 |