里山を歩く
2005年に、愛知県で万国博覧会(愛・地球博)が開催される事が決定した。会場候補地に挙げられた森が、都市郊外には珍しく里山の景観を残している事から、推進派・反対派の激しい論争が有った末の決定だった。
正直に言って、私はこの自然保護論争の顛末を、複雑な心境で見守っていた。というのも、心情的には貴重な自然は保護されるべきと考えてはいたものの、私が生業とする職業は公共事業をはじめとする「開発」によって成り立っている物だったからだ。
自然保護と声高に叫ぶ事は簡単だ。しかし、今自分が置かれた立場でそれをする事は、自分の生活基盤そのものの否定に繋がる…。そんなジレンマに、私は陥っていたのだ。
幸いにも、会場予定地として論議を呼んだ海上の森は、当時私が住んでいた街から車を15分ほど走らせた場所、言わば生活圏内に位置していた。そんな地の利も有って、私は
「とにかく一度この目で森を見てみよう」
という思いに駆られ、バックにカメラと数本のレンズを詰めてこの森を訪れた。
そこで目にしたものは、そこが三大都市圏の一つに数えられる名古屋という街からほんの少ししか離れていないという事実を忘れさせる程の、豊かな森林だった。路傍に咲く名も知らない可憐な花々、鬱蒼と茂る森の中に妖しい姿で佇むキノコ、虫たちの羽音、少年時代に確かに嗅いだ記憶のある土と森の香り。五感全てが研ぎ澄まされる様な、不思議な感覚だった。
初めての訪問で、瞬間的に私はこの森の虜になってしまった。それと同時に、たとえ自分の生活が「開発」を前提に成立していたとしても、やはり守るべき一線は守らねばならないのだと強く感じた。
ただ、自然を感じたいと森を訪れる我々の側にも、問題はある。この森が万博問題で脚光を浴びてから、私の様に訪れる人の数は確実に増加の一途を辿っている。そしてそれに比例して、野草を持ち帰る者、立ち入り禁止の札を無視して山へ分け入る者、そして空き缶などのゴミを廃棄して帰る者。そうしたモラルハザードは、確実に広がっている。
里山の自然に触れる事は、とても素晴らしい事だと思う。しかし、それが度を越えたとき、むしろそうした私たちの想いは結果として森を傷つける。大いなる矛盾だ。
この項は、そんな矛盾に対する答えを導き出そうとして、2000年から転勤で愛知県を離れるまでの僅かな時間、この森を訪れて私が感じた事の記録である。内容的には些か古いのだが、とある時期の「海上の森」の記録として、ご覧いただければと思う。