茨城県かすみがうら市下志筑地区の集落中ほどにある石碑。火の見櫓は観られないが、石碑の周囲にかつての火の見櫓の基礎が、ここに櫓が建っていた痕跡として残されている。
碑銘は「火之見櫓建設寄附連名」。石碑両面に寄附者の名前が刻まれているが、表面と裏面では碑銘の書体が異なっている。名簿は寄付金額の多い順に表面から裏面にかけてびっしりと記されており、非常に多くの方が火の見櫓建造に際し寄附を行ったことが伺える。表面下部には、「発起人」として十名の方の名前が、また末尾には「昭和十二年一月二十日建立」とあり、戦前に火の見櫓が建立されたことが分かる。
但し、戦時中の金属供出で失われた櫓も多いため、残存する基礎に建てられていた櫓が1937(昭和12)年製のものであったかは不明である。
東京都世田谷区では、名所旧跡など173か所に石碑が建てられている。この石碑群を建造したのは石碑側面に銘のある「玉川地団協」、正式には「玉川地域活動団体連絡協議会」という組織で、地域の歴史への理解を深めることを目的として1984(昭和59)年に設立された組織である。設立後、14年かけて区内に173本の石碑を建立し、石碑を巡る5つのコースを設定し「世田谷ふるさとめぐり てくたくぶっく」というガイドブックを刊行。玉川地団協は2005(平成17)年に「玉川の郷土を知る会」と改称され、さらに2006(平成18)年に会員の高齢化などにより解散し、現在は、世田谷区玉川総合支所地域振興課がその事業を承継している。
奥沢の「火の見やぐら跡」の石碑は、東急電鉄目黒線 奥沢駅から田園調布方面へ向けて線路沿いの路地を300mほど歩いた先の三叉路頂点に建っている。火の見櫓の痕跡は全くみられないが、三叉路の頂点というのは火の見櫓の立地としては典型的なものであるといえよう。
「玉川地団協」により建立された石碑の一つ。東急電鉄大井町線 等々力駅の北側、大井町線と並行する等々力通りのスーパーと信用金庫の間にある、立派な個人の邸宅と思われる敷地への入口角に建てられている。火の見櫓の痕跡は見られないが、立地としては駅前の住宅街中心部にあたり、こちらも典型的なものと言える。
世田谷区深沢六丁目、深沢不動の裏手にある路地の民家前に建てられた石碑。隣接する住居に挟まれるようにして建っているため見逃しやすい。当然ながら火の見櫓の名残は見られない。立地としては、交通の要衝である駒沢通りと駒沢公園通りの交差する深澤交差点の近傍で、こちらもまた交通の要衝という火の見櫓の立地としては一般的なものと言える。奇しくも現地を訪問し撮影中に消防車が前を通りかかった。