撮影日:2021(令和3)年12月20日、21日
上小田井の火の見櫓は、名古屋市西区にある庄内緑地の北側に位置する櫓で、同地区の山田消防団が管理しています。庄内緑地は洪水時には庄内川の水量調整のための遊水地を兼ねており、緑地北側にも堤防が設けられています。この櫓は、その緑地北側堤防の斜面中ほどに立てられています。
礎石には「昭和三(五?)年七月」と記されていますが、消防団にこの櫓の経緯を記載した資料が残存していないため、正確な建造年や経緯については不明です。
ただし、基礎部分には現在の櫓の内側にもう一組脚の跡とみられる遺構が残存していること、また形態的な特徴から、恐らくこの櫓は1930(昭和5)年に建造されたものではなく、後年建て替えられたものと思われます。
この火の見櫓については、当サイトでご紹介していた情報に一部誤りがあり、山田消防団 団長 伊藤様よりそのご指摘の連絡を頂く中で、老朽化のため撤去が決定した旨をご教示いただきました。
その後、2021(令和3)年12月21日に撤去工事が行われることが決定し撮影の許可を頂いていましたが、前日12月20日朝に、SNSにて近隣住民の方が撤去工事が始まり屋根が撤去された旨を投稿されているのを目にし、急いで現地を訪問しました。
【註】
両日の作業の撮影については、許可を得て安全に十分に配慮して行っています。
現地に到着すると、既に見張台部分が撤去されていました。後ほど伊藤様にお伺いしたところ、撤去作業自体は21日に実施、前日は準備工事を行うとの予定になっていましたが、工程については解体業者様へ一任していたため、前日に見張台部分を撤去することは把握されていなかったとの事でした。
見張台部分の撤去作業を見守ることができなかったのは非常に残念ですが、引き続き準備工事を撮影することといたしました。
20日は準備工事ということで、翌日のクレーン作業に備え、櫓を3ブロックに分割するため主材と水平材に切り欠きを入れる作業が実施されました。翌日の本作業では2節毎にブロック単位で吊り上げ作業を行うようで、作業員の方が電動ノコギリで主材、斜材に対して一辺ずつ切り欠きを入れていました。鋼材が頑丈なことと高所作業での安全確保のため、一か所の作業にもかなり時間をかけて丁寧に実施されていました。
屋根や高欄などの見張台部分が準備作業で事前に撤去されたのも、本施工でのクレーン作業を迅速に行うためのものであったと思われます。
暫く作業を見守っていましたが、前日作業はこれでほぼ終了するようでしたので、翌日に備えてひとまず撤収しました。
撤去本工事は、2021(令和3)年12月21日 午前8時過ぎから開始されました。
クレーン車が作業を行うため、周辺道路の封鎖が行われてからクレーン車が搬入されます。工事看板の「火の見櫓撤去工事のため」という文字に、いよいよ撤去が実施されることを改めて思い知らされます。
クレーン車が搬入されました。
隣接する道路上にクレーン車を据え付けたのち、アームを伸ばしてロープを上層へと移動させ、上層部の撤去準備が進められます。
作業員の方が分割部分へ上り、主材、梯子の切断作業を進めます。前日の準備工事で予め切れ目が入れられていたので、作業は手際よく進んで行きます。
8時少し前からクレーン車の据え付け作業が始まり、切断作業が完了して上層部が分離されたのが8時25分頃でした。
個人的な話で恐縮ですが、「もう少し時間がかかるだろう…。」とカメラの設定をすめため目を離している間に上層部の移動が始まってしまい、この時の写真が撮影できませんでした。こちらの写真は、同席していた方にご提供いただいたものです。快くご提供下さいましたこと、心より御礼申し上げます。
※画像提供:とのこ様
一旦堤防上に仮置きしたのち、トラックの荷台へと積載されました。仕方が無い事とはいえ長年街の安全を支えた櫓の鋼材が「産業廃棄物運搬車」と記された車に載せられるのは寂しく感じられました。
運搬用のトラックは2台用意されていましたが、3分割して搬送するためスペースに余裕がないことからか、上層部を積載したトラックは、積載作業が完了した後すぐに出発してしまいました。
解体作業を並行して搬送を終えたのち、このトラックは再度現場に戻ってきました。
上層部に続き、中層部の分割作業が始まりました。
上層部同様、まずは玉掛け作業を行い、その後分割部分の切断作業が進められました。こちらもスピーディに進められました。
中層部の切断が完了し、クレーンで撤去されてゆきます。
上層部の撤去から中層部の撤去までの所要時間はおよそ15分でした。
分離した中層部は、一旦横へ待避させられます。
いよいよ下層部の撤去作業が始まります。
コンクリート基礎から主材、梯子を切断分離しますが、基礎部分は主材とベースプレートの二枚重ねになっており鋼材に厚みがあることから、上・中層部に比べ切断作業にはやや時間を要しました。
上・中層部と異なり下層部は吊り上げるのではなく横倒しにしての撤去となります。
画面左側の二本の脚部のみ切断し反対側は切れ込みが入った状態のままクレーンを操作して横方向へ力を加え、ゆっくりと倒します。いよいよ「櫓」の形状が失われてしまいました。
鋼体が完全に横倒しになった後、僅かな部分のみ基礎と繋がったままになっていた切れ込み部分の切断作業が行われました。これで基礎と本体とが完全に分離され、上小田井の火の見櫓はその使命を完全に終えました。
ここで時刻は午前9時。作業開始からわずか1時間でした。
2台の搬送車に、中層部・下層部がそれぞれ積載され、いよいよ櫓はこの地を離れることになります。
搬送完了は午前9時15分でした。
午前9時17分、櫓を積載した搬送車が出発しました。
変わり果てた去り行く火の見櫓の姿に、寂しさがこみ上げました。
火の見櫓本体の搬出後も、作業は続きます。
今回の工事では基礎はそのまま残置されますが、転倒やひっかけ防止のため突き出しているベースプレート部分を全て切断し、平滑にしなければなりません。
位置的にも作業がしづらいようで、作業員の方は櫓本体の解体よりもむしろ残されたわずかな鋼材の撤去の方が難渋している印象でした。
午前10時30分を過ぎ、まだ基礎部の作業終了まで時間が掛かりそうだという事で、山田消防団 伊藤様よりお声がけ頂き、少し離れた場所にある山田消防団詰所に保管されている火の見櫓の半鐘を見学させて頂きました。
半鐘は持ち上げようとするとズシリとする重量で、計測はしていませんが20kg近くあるのではないかと思われます。銘などは刻字されていないため、来歴については残念ながら不明でした。
撞木は火の見櫓に取り付けられていた当時のまま、吊り下げに用いられていた針金がそのまま残されています。
他にも以前使われていた消防ホースの筒先などを見学させて頂いたのち12時近くに現地へ戻ると、四隅のベースプレート部分も除去され、おおよその作業が終了していました。
作業員の皆さまは昼休憩のため席を外されており、また作業もほぼ終了したため今回の工事見学はこれにて解散となりました。
今後この基礎がいつまで残置されるのかは不明ですが、この基礎と石碑が、かつてここに火の見櫓があったことを思い出すよすがとなる事でしょう。
火の見櫓撤去後の全景です。火の見櫓が失われ、見通しのよくなった空が悲しくもあります。
今回、火の見櫓撤去工事の現場に立ち会うことができた機会を、火の見櫓研究の末席にあるものとして記録に残す事を使命ととらえ、今回のレポートを記しました。
今回のレポートにあたり、見学のご配慮を賜りました山田消防団 団長 伊藤様にはこの場を借りて、改めて御礼申し上げます。ありがとうございました。
協力:山田消防団 団長 伊藤様
画像提供:とのこ様